り戻って来る。そして車の荷を解き、また寝てしまう。車の荷は、つまらないものばかりだ。布団と毛布、鍋釜、皿小鉢の類、小さな行李、米が少量、風呂敷包みなど、かねて用意してあるものらしい。
 焼け跡が、そしてそこの防空壕が、果して安全なのであろうか。もっとも、立ち並んでる小さな人家は、焼夷弾に対しては、薪を置き並べてるのに等しく、そこに居ることは、火の下の薪の中に居るようなものである。然し、他人の家に身を寄せてるからには、自分たちだけ逃げ出さずに、そこの家人と協力して、防火や荷物搬出や避難を共にすべきであろう。だが、彼等夫婦は、他を一切顧ることなく、がらがら事を引いて逃げ出すのだ。
 車の荷は、つまらないものだが、さし当っての生存必需品には違いない。生存に最も必要なものは、最もつまらない日用品だということは、首肯される。そのことを、彼等夫婦は、罹災の経験によっても知ったのであろう。そして彼等の用心は、至って妥当なのであろう。
 それにしても、彼等夫婦のそれら全体のことが、なんだか浅間しいのだ。そんなにして、最小限度にも生きたいのであろうか。
 大火災の光景を、俺はむしろ痛快に思い起すのだ。見渡す限り、一面に火の海だった。火の海の中に、木立の幹や電柱が、高く峙って焔を吹いていた。片方は黒煙が濛々として、その末は白っぽく空に流れていた。その空には、火焔の反射を受けて銀色に光る飛行機が、縦横に飛び廻っていた。空も地も明るく、ただごうごうと唸っていた。壮絶だ。この中で死に或は負傷した人々にとっては、その死もその負傷も無意味で、しかも大難だったには違いない。然しその大火が壮絶たることには変りない。
 こういう冷酷なことを俺に言わせるのは、あの荷車のがらがらいう音だ。殊に夜更けのその音だ。浅間しかった。情けなかった。
 其後彼等夫婦は荷車を盗まれ、それからどこへか立ち去った。
 彼等にも、そうだ、アルコール・ウイスキーでも飲ませてやるがいい。
 友のその酒は、なるほど、味よく出来ていた。そして強かった。俺もだいぶ酔った。
「金儲けが目的じゃないんだ。なるべく沢山の人を酔わせてやりたいんだ。」と彼は言った。
 彼自身、もうすっかり酔っていた。俺のところへ来る前にも、だいぶ飲んだらしい上に、更にぐいぐいひっかけたのだ。
「おい、これからビールを飲みに行こう。この近所に、ビールを飲ませる家
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