た。
「怪我は別にないと自分で云ってるから大丈夫でしょう。向うが悪いのです。」と車掌は答えた。
私達は妙に黙り込んでしまって、腰掛の上に首を垂れていた。
「私ほんとに喫驚したわ。あの人でしょう、例の男というのは。」と女は村瀬に囁いた。
「君達が余りうますぎたんだ。」と村瀬は云った。
「でも約束じゃないの。」
それには誰も答えなかった。そして私達は、それきり上野まで黙っていた。
「兎に角余り結果がよすぎたんだ。」と村瀬は公園下を歩きながら結論を下した。
女が何処かへ寄ろうと云うのを、またこの次にと云って私達は別れた。それにもうよほど遅くなっていた。私は一人で山下を池に沿って帰っていった。その時私は、腹立たしいのか、情けないのか嬉しいのか、訳の分らぬ心地になっていた。腹の底に云い知れぬ感情の黒いかたまりが転っているような気がした。
翌日の淋しい夕方、妙に前夜のことが気にかかってぼんやりしていると、思いがけなく村瀬が尋ねて来た。
「花園町とばかりきいていて番地が分らないので随分探したですよ。」と彼は云った。
「そして何か起ったんですか。」
彼は黙って懐からその晩の「毎夕」を一枚取り出して彼の前に拡げた。一番下の欄の片隅に電車事故として次の小記事が載っていた。
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山の手線S――駅に於て昨夜S――署詰○○刑事は電車より誤って線路内に墜落し右腕及び右脚に数箇所の軽微なる裂傷を受けたるが右脚膝関接部の挫折は意外に重く全治一箇月を要する見込なれどもし発熱せばよほどの重患に立至るべしと
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私はその記事を読んで眼を見張った。村瀬も顔の筋肉を引しめていた。
何とも云いようの無い暗い影が心に上って来た。そして私達は出来るだけその晩の夕刊を集め、また翌日になると種々な朝刊と夕刊とを買い集めた。然し凡ては徒労であった。それに関する記事は一つも見当らなかった。私達はまた「毎夕」を拡げてみた。○○刑事として特に名前を秘してあるのに注意を惹かれた。
第一にあの男は果してこの○○刑事であったろうか? 刑事なら初めからあんな態度を取るわけもないし、あんなへまな結果を見るわけもなかった。然し「毎夕」の記事は一句々々同一人だということを肯定していた。ただ「昨夜」として時間が分らないことだけが疑問を生む点だった。そしてもはや、S――駅に問い合してみ
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