が次第に昂じてきて、この頃ではもう、何に不満であるか何の慾望に駆られているのか、それが分らなくなってしまっている。そして彼等にはただ、くいしばった歯と齷齪した生活と疲れながら陰欝に光ってきた眼だけが残っている。中心が盲目で外部が猛獣なのだ。このままで進んでいったらどうなるだろう。これでいいものだろうか。
右の外観上相矛盾するようで実は同じ基調の上に立つ二つの考えが、永い前から私の心の中に在った。然しそれをどうしようという気は私には無かった。私は自分が余りに怠惰で無力であると思っていた。そして絶えず奇蹟を待つような気で何かを待っていた。けれどそれも遂に徒らな空望であることを感じて私は益々倦怠と憂欝とに囚えられてしまった。
室の中にぼんやり寝転んでいると、窓の硝子越しに十一月の晴れた空が見られた。空は徒らに高く澄み返って、一片の雲も一羽の鳥の姿さえも見えなかった。顧みると、縁側の障子には暖かそうな日の光りが一杯当っていた。それを見ると、ふと外に飛び出したくもなったが、霜枯れの葉が震えてる木の梢や、じめじめした冷い地面や、物佗びしい寒い空気や、妙に澄しきった陰険な人々の顔などが思い出されて、また私は、閉め切った暖い室の中から立ち上るのが懶くなってしまった。
けれども夜になると、朝からつみ重なってきた退屈の量が堪えられないほどになり、食物を一杯つめ込んだ胃袋が妙に重苦しくなって、私はいつもS――にいる坂口を訪ねていった。坂口は非常に碁が好きで私と丁度いい相手だったので、いつも喜んで迎えてくれた。私が暫く行かないと、向うから誘いの葉書を寄した。坂口も隙で退屈してる男だった。昼間は会社に勤めていたが、夜になるともう家で勉強する気も起らないとみえて、妻と女中と三人きりの家庭に肥った身体をもてあつかっていた。その上人のいい彼は、私が長い関係の女と別れた前後の事情を知っていて、幾分私を慰めようとする心持ちもあったらしい。そして私の方でも、他の友人などを尋ねて無駄口をきくよりも、彼の所へ行ってすぐに碁盤に向う方が、どれだけいいか分らなかった。妻君の方とも私は前から知ってる気の置けない間柄であった。
それに、上野からS――までの山の手線電車は、退屈しきってる私の心に或る面白さを与えた。
夜の十二時すぎ、S――駅の歩廊《プラットホーム》の上に在る待合所で、私はよく、十分、十五分、
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