しても駄目にきまってるのだ。……そういうことが母には少しも分らない。分らないのを俺は責めたくはないが、分らなさを以てつっかかって来られると、つい苛立って来ざるを得ないのだ。
喧嘩の後で、母は一人で泣いていた。俺も涙が出てきた。然しその涙を、俺は卑怯な涙だと感じる。涙で妥協するのは卑怯なやり方だ。そう思うと、俺の眼からはまた涙が出てきた。どうにも仕様がなかった。
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十月二十日――朝と夕方と二回、〇・〇〇三に当る分量を服用する。夜、軽い頭痛を覚ゆる。
十月二十一日――朝起きると、軽い眩暈を感じる。それもすぐに止む。空が綺麗に晴れ渡っている。視力がはっきりしている。
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珍らしく郊外に出てみる。櫟林に寝転ぶ。涼しい風が何処ともなく流れてきて、枯葉がひらひらと舞い落ちる。淋しい梢の間から、白い浮雲が見える。その雲をじっと見ていると、櫟林や自分自身や大地がゆるやかに動き出す。大きな波に揺られ流されてるような心地。雲は何時までも空高く懸っている。大地が非常に頼りなく思われる。……ふと気づくと、雲が徐々に空を流れてるのであった。あたりを見廻せば、木の幹も草の葉も地面も、ひっそりと静まり返っている。かさかさと干乾びた音が何処かでする。黄色っぽい日脚が妙に弱々しい。……秋は寂しいものだと思う。一人で居るに堪えなくて、家に帰る。寂しさが心の底にこびりついて離れない。
家に帰っても、母とは口を利かない。そのおずおずした眼付がいやに圧迫してくる。隆吉がよちよち歩いてる。頭ばかりが大きくて、栄養不良らしい萎びた身体付をしている。自分の児だと思うと変な気がする。
これまで書いてくると、手先が震えて止まない。胸糞の悪い頭痛がする。※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]の筋肉がぴくぴくする。
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十月二十四日――日の光りを見てると、頭がくらくらする。物の匂いがいやに鼻につく。平素は気がつかなかったが、電車の響きがうるさく聞えてくる。
十月二十五日――視力が少しも弱らない。日記をくると、二十日に服薬したきりである。いつもは大抵、二三日で薬の効果は消えるものだが、こう四五日も持続することは珍らしい。呼吸が非常
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