にも隠さないという約束じゃなかったの。その気にかかることを云ってごらんなさいよ。」
周平は保子の眼の中を覗いたが、そのたじろぎもしない眼差しの前に、眼を外さざるを得なかった。自分の方が負だという気がした。そこからまた絶望的な勇気が出てきた。彼はぶしつけに云った。
「私はつまらないことで隆ちゃんをいじめたんです。」
「あ、あのことですか。」と保子は云った。「あたたも随分|大人《おとな》げないことをしたものね。でも私、初めはどうしたのかと思ったわ。あなたが帰った後で、隆吉がしくしく泣いてるんでしょう。いくら聞いても黙ってるから、何のことかと思うと、つまらないことじゃないの。可哀そうに、子供をいじめるのはお止しなさいよ。そんなに吉川さんの写真が見たいのなら、こんど私が借りてあげましょうか。」
「もういいんです。何だか気がさして、見てもつまりません。……初めは、隆ちゃんのお父さんだから是非見たいように思ったんですけれど……。」
「どうして?」
「どうしてって、ただ……何だか……私の好きな人のような気がしたんです。」と初めは口籠り終りは口早に周平は答えた。
「それだけ?」
「ええ。」
「ほんとに?」
「ほんとです。」
「そう。」と保子は云った。
二人は口を噤んだ。変に中途半端な気持だった。然し保子はもう何とも云い出さなかった。暫くすると、ふいに尋ねかけてきた。
「あなたは釣魚《つり》は好きですか。」
周平は今迄の気持が置きざりにせられたのを感じた。咄嗟に返辞が出来なかった。それを保子は構わず云い続けた。暑中になったら横田が釣魚《つり》に行くと云ってること、釣魚の面白みをさんざん聞かされたこと、どうやら自分にも面白そうに考えられてきたこと、それでも、「沢山釣れなければあんな詰らないものはないと云ったら、それはまだ本当の趣味を解せないからですって、」と彼女は結んだ。
周平はぼんやり聞いていた。まだ心が其処まで動いてゆかなかった。そしてほどよい時に、保子の側を逃げるようにして去った。
彼には保子の態度が腑に落ちなかった。彼女の話は、頭ばかりが大袈裟で尾《しっぽ》がすっと消えていた。村田のこともそうだった。写真のこともそうだった。そして両方とも、彼はすっぽかされてしまった。村田のことから妙に真剣になって尋ねだすと、いつのまにか主客転倒されてしまい、写真のことから少し深入しか
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