さわしくなかったし、また、加津美の遊蕩な空気にはふさわしくないのだ。
加津美のある一区域の外には、戦災による焼け跡が見渡す限り拡がっている。終戦後まだ一年半あまりで、電車通りなどにはぽつぽつ小さな家が建ってはいるが、だいたい原っぱだ。あちこちに瓦礫の堆積があり、いら草の茂みが冬枯れのままに残り、小さく区切った耕作地には、麦が伸びあがり蚕豆の花が咲きだしている。その原っぱへ出ると、喜美子は、いっそう新鮮に子供っぽくなる。
道路からちょっとはいったところに、腰をおろすのに恰好な石があるので、道で出逢った喜美子を誘うと、彼女はすなおに頷いてついて来る。そして私達は、道路の方に背を向け、地上にただ二人きりのような気持ちで、焼け跡の野原をぼんやり眺めるのである。大気は冷いが、じっと腰掛けていると、夕陽の光りの仄かな温みが肌に感ぜられる。
喜美子は田舎に生れて、幼い両親と共に東京に出て来た。両親はもう亡い。田舎には、伯父さんやずっと年上の兄さんがいるけれど、一度も行ったことはない。記憶には、美しい小川が一つ浮んでくる。
「いつも、水がきれいに澄んでたわ。深いところでも、底まではっきり見えるの。砂があったり、小石があったり、泥があったりして、泥のところには藻が生えてるの。藻の中にいろいろな魚がいて、みんなでしゃくいに行ったわ。魚はなかなか取れないけれど、小蝦はよく取れたわ。大きな蟹に指をはさまれて、泣きだしたこともあるの。」
「喜美ちゃん、そんなにおてんばだったの。」
彼女は頭を振って笑った。
「いいえ、あたしじゃないのよ。だって、まだ五つか六つだったんですもの。」
「時々、田舎に行ってみたいとは、思わないの。」
「でも、行ったって、つまらないでしょう。」
「そりゃあ、面白いことはないよ。けれど、町中に住んでると、僕なんか、時々田舎に行きたくなる。焼け跡の原っぱに、こうしてじっとしてても、いい気持ちだからね。ただ野原には、焼け跡でもやはり、水のきれいな川がほしいよ。川の流れが一つあれば、野原がほんとに生きてくる。」
この焼け跡に、今迄見られなかった美しい都会が出現するのは、いつのことやら。まずそれまでは、捨て置かれてる空間で、そこに、麦が伸び、蚕豆の花が咲き、雑草が茂り、灌木の茂みも出来るだろう。それらを眺めるのは楽しみである。だがこの楽しみを充実させるには、一筋のきれいな小川の流れが必要だ。――そのようなことを、私は喜美子を相手に独語するのだ。喜美子は微笑みながら私の言葉を聞いてくれる。ただ聞くだけで、はっきりした反応は示さない。然し彼女自身、田舎について何よりも小川のことを記憶しているではないか。その記憶を嬉しく思い、それに頼って、私は私の独語を続けるのだ。
独語の合間に、振り向いてみると、彼女は小川のほとりにでもいるかのように楽しそうだ。その眼眸の清らかさが、肉附や皮膚の薄い顔の明るさをいっそう際立たせ、片方の細長い小さな糸切歯が、薄い膚の微笑みの可愛さをいっそう際立たせている。その全体が、なにかしら運命に対する抵抗力の弱さ、つまり薄命なものを思わせる。私が庇うようにかき抱いてやったら、彼女はどうするだろうか。
私が口を噤むと、彼女も黙っている。買物袋を膝にかかえ、白いハンケチを持ちそえ、赤い帯をしめ、かすかに化粧の香りをさせてる、都会の娘だ。田舎の娘ならば、石に腰掛けて夕日を眺めるなどは、退屈に違いない。――夕日は薄い雲に包まれ、円盤のようにくるくる廻りながら、速かに沈んでゆく。冷い風が地面に沿って足下を流れる。
「少し歩こうか。」
「ええ。」と彼女は答える。
「もう帰ろうか。」
「ええ。」と彼女は答える。
どちらにしていいか、私の方でまごつくのだ。ただ、そこで彼女と別れてしまうことは、しにくい。私は彼女について行く。加津美までついて行く。
加津美へは、喜美子は裏口からはいるが、私はそうはいかない。表からはいれば、座敷へ通されるし、座敷へ通ればお客さまだ。お島さんが万端の面倒をみてくれるし、お上さんも顔を出すし、黙っていても桃代が呼ばれるだろう。
「ちょっと、一人で考え事をしたいから、酒だけを頼みますよ。」
ぬるい炬燵に半身をもたせて、夕暮の一刻を、とりとめもない感慨に耽るのだが、なにか場違いな心地で落着きがない。逃亡か……酔いつぶれるか……。そこへ、喜美子がお銚子を持って来ると、私はもう他愛なくにこにこしてしまう。
「まあ、電気もつけないで……。」
喜美子は薄暗いのが嫌いだ。そして私は、彼女に電灯をつけてもらうのが好きだ。
「また、考え事をしていらしたの。」
「うむ、ちょっとね。さっき、焼け跡で、だいぶ長く石に腰掛けていたものだから、風邪でも引きはしなかったろうかと思って……。」
「あら、済みません。御免なさ
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