た。
 所が、越してきて二週間ばかりたった頃、或る晩、妻は妙なことを云い出した。
「この家は何だか変な家ですよ。門の開いた音がするから出て行ってみると、誰もいないじゃありませんか。そんなことが何度もあったんです。」
 まさか……と思って私は、女中にも尋ねてみたが、やはりその通りだと云うばかりでなく、実は女中の方がそれに多く出逢ったのだった。
 そんな馬鹿なことがあるものか、とは思ったが、現に二人も証人があってみれば、私がいくら否定しても無駄だった。その上、何となく気にかかってきた。姿の見えない人間が、家の門を出たりはいったりしてるということは、それが荒唐無稽であるだけに一層気味悪いように思い做された。
「では兎に角よく注意しといてごらん、本当だとすれば冗談じゃ済まされないことだから。」
 そして私は、門の戸を調べてみたり、あたりを見廻ったりした。何処にも異状はなかった。
 曖昧なうちに四五日は過ぎた。すると妻は馬鹿馬鹿しい報告を齎した。
「うちの門が開くと思ったのは、どうもお隣りの門が開く音だったらしいんですよ。」
 余り他愛ない話なので、私は妻に小言を云う気にもなれなかった。今迄どうして気付かなかったろうかと怪しまれるほど、それは如何にもありそうなことだった。門から玄関まで、庭の竹垣と路次の板塀との間の切石を敷いた道がわりに長かった。そして隣りの家と自分の家との、同じ造りで同じ鈴のついている門の音が、誤って聞き取られるのは、風向の加減で、或は風がなくとも耳の調子で、至極無理からぬことだった。私は表に出てみて、箱を二つに仕切ったような二軒長屋を、不思議そうに眺めやった。
 そして実際不思議だった。同じ向きで同じ古さで、同じ広さ、同じ恰好、恐らく同じ間取り、二軒続いた板塀からは、どちらも玄関寄りに松が一本と、それよりやや低い檜葉が一本、似寄った枝ぶりを覗かしていた。建築師の一分一厘違わない繩墨で、図面を引かれ拵え上げられた、全く同じな二軒だった。二軒ではあるが、一本の背骨がつきぬけてる、くっついたまま動きの取れぬ長屋だった。
「二軒とも全く同じだね。」
 家にはいって私は妻へそう云った。
「そりゃその筈ですよ、同じ形に建てたんでしょうから。」
 なるほど、この上もなくはっきりした理屈だが、それにしても変だった。妻の話によれば隣家も私と同じような会社員で、私よりは三つ四
前へ 次へ
全13ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング