、俺は孤独のさびしさを知った。両親や姉妹に対する感情は、彼女に対する感情とは別種なものだった。彼女のない俺は、情緒的に孤独だった。そしてこのきびしさの中に生きようとした。そういう生き方に於て初めて、死も生も同じであるのを感じた。
戦闘らしいものもあまりなく、ただ移動彷徨をのみ続ける大陸での生活は、甚しく無意味なものに思われた。そして俺は、太平洋の中に没した耕一のことを羨ましく思った。戦争とか戦死とか、そういう事柄ではなく、ただ遠い彼方、太陽と大海との中が羨ましかったのである。生死一如の境地では、死もまた一つの旅と観ぜられたのだ。
俺のちっぽけなばかばかしい旅は、敗戦と共に終った。それからは家畜のような生活をして、家畜のように帰宅してきた。惨めだという一語にすべてが尽きる。愛国心の乏しさを自分のうちに見出した俺は、敗戦などを苦にはしなかった。ただ、人間として、人間としての感情から、自分自身がまた凡てが惨めだった。
この打ち萎れた気持ちの中で、白藤の家の心像が、汽車の窓から見た聊かの風景を機縁に、俺のうちに植えつけられたのだ。そして俺はしばしば過去に引き戻された。俺はあの時、またあの時、更にあの時にも……彼女に愛を語ることが出来た筈だった。彼女も俺に愛を語ることが出来た筈だった。俺も彼女もそれを待望していたのかも知れなかった。然し二人ともそれをしなかった。俺の応召や彼女の病気がそれを妨げたのではなかった。それは却って愛を語る口火とさえなるものであった。俺たちが愛を語らなかったのは、ただ、余りに親しく愛しすぎていたからであったろう。少くとも俺の方は、余りに親しく彼女を愛しすぎていた。余りに親しく愛しすぎて、却って彼女を忘れていた。
その、忘れていた彼女を、白藤の家の心像は俺に蘇えらしてくれた。俺は今、周囲のすべてを、初めて見るような眼で新たに眺めている。彼女をも新たに眺めよう。彼女のうちのつまらないものは、容赦なく切り捨てよう。焼け跡のひょろひょろした藤蔓は、彼女のうちの最も惨めなものだ。引き抜いて打ち捨てなければならない。
彼女についてばかりではない。すべてのものについて、惨めなもの、醜いものは、容赦なく峻拒しよう。よく見てそして選択することだ。それが俺の生き方である……。
草光保治は、細川の家の焼け跡を、見返りもせずに立ち去りました。
彼は暫く、猫背の
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