簡単服に、大きな袋をさげていました。
彼女は日暮里駅で降りました。出口の方へ階段を上ってゆく時、その袋が如何にも大きく重そうに見受けられました。岸本は足早に追いついて、ちょっとためらった後、思い切った親しい態度に出ました。
「たいへん重そうですね。持ってあげましょう。」
彼女は彼を見て、別に意外な様子もなく、すなおに答えました。
「ほんとに、済みません。たいへん疲れました。」
もう階段を上りきってしまったのに、彼女は袋を彼に渡しました。袋はずっしりと重く、彼女は少し香水の匂いがしていました。
駅から出ると、彼女は袋を開けて見せようとしました。
「かぼちゃ、とうなす、きゅうり、とまと……それから、まだ何かありました。」
その往来で、袋を開きかねない彼女のしぐさに、岸本はちと驚きました。――だが、不思議に、お千代さんのことが頭に閃めきました。日暮里駅の裏口の、その田舎めいた風情の故もありましたでしょうか。お千代さんなら、中学生の彼岸本に、重い荷物を持たせて伴させたでありましょう。袋の中の野菜物を往来にぶちまけて平気でいたでしょう。ただ、お千代さんはいつも笑ってばかりいましたが、今、彼女は笑顔ひとつ見せませんでした。
「船橋に行って買って来ました。お魚を買いに行ったんですけれど、もうすっかり無くなっていましたから、野菜にしました。けれど、お肉でも添えれば、野菜の方が、おいしい弁当が出来ますでしょう。」
「弁当を拵えなさるんですか。どこかへ勤めていられるのですか。」
彼女は返事をせずに、ただ怪訝そうに彼を見あげました。その視線が、へんに鋭く、彼の胸を刺しました[#「刺しました」は底本では「剌しました」]。
彼は眉をひそめました。彼女がその良人のためか子供のためかまたは誰か身内の者のために、弁当を拵えることは、甚だあり得ることだったのです。それを、彼女が全く独り暮しだと、どうして彼は初めからきめてしまっていたのでしょう。お千代さんとの連想からだったのでしょうか。彼は眉をひそめて、そして、手にさげてる荷物の重みの力をもかりて、突っこんでみました。
「実は、あなたの住所は存じていますが……。あの、小泉美津枝さんというのは……。」
ゆっくりした調子で彼が言いきれないうちに、彼女は立ち止ってしまいました。
「美津枝はわたくしです。わたくしは美津枝です。」
不思議そう
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