てみねえ、一段歩に何俵という米が出来るじゃねえか。」
「それがおいらの地所だったらなあ!」
「地所は旦那のものでも、仕事はおいらのものだ。よく考えてみねえ、後々まで残る立派な仕事だ。」
音吉は何とも答えないで、荒地の広さを目分量ではかっていた。平助は眼を外らして、遠く山々の頂に覗いている入道雲を、その山壌《さんじょう》に立昇る一筋の煙を、また広々とした平野の上を、遙に眺めやった。ぎらぎらとした光が一面に漲っていた。彼は眩しそうに眼を瞬いた。
荒地は野田の旦那の所有だった。
一昨年の暮、長く腹膜を病んでたおてつ[#「てつ」に傍点]が死んでからは、平助の一家は益々困窮のうちに陥った。二十歳になる二女のおかね[#「かね」に傍点]と、十八歳になる一人息子の音吉とがいたけれど、おてつ[#「てつ」に傍点]が炭坑から連れ戻ってきた孫のおみつ[#「みつ」に傍点]が手足まといになるし、おてつ[#「てつ」に傍点]の長い病気のために借金は嵩んでいるしするので、平助は先の見込を一寸取失って、陰鬱な気持に沈み込み、大きくつき出たおてつ[#「てつ」に傍点]の腹と、水気のために美しく脹らんだその足とを、いつまでも頭の中に思い浮べていた。
「おらが死んだら野田の旦那様にお縋り申すがええ。」
嫁入りして炭坑に行く前、野田の家に女中をしていたおてつ[#「てつ」に傍点]は、死ぬ間際にそう云った。その言葉が平助にとっては唯一の力だった。
そして実際、野田の旦那はいろいろ平助一家の面倒をみてやった。昨年の春頃から、荒地の開墾を平助の手にゆだねた。平助は蘇ったように元気を取直した。度重った借金はそのまま据え置いて、荒地を一段歩開墾する毎に、三十円の金を手にすることが出来るのだった。
それからもう一年と何ヶ月かになる。
「おらが眼をつぶるまで、この仕事はおいらのものだ。」
平助と音吉とは毎日、鍬と鶴嘴とを肩にして荒地にやって来た。仕事は容易でなかった。以前森だったので、至る所に大木の切株があって、それが地下深く根を張っており、小松や灌木が生い茂り、雑草が高く伸びていた。それでも、灌漑の便がよかったので、開拓さえすれば、そのまま水田になることが出来た。荒地の片隅に、草木の根や石塊の塚が次第に大きくなるにつれて、拓かれた水田も次第に広くなっていった。昨年から拓かれた分には、もう稲苗《なえ》が青々と植
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