を育てました。そういう時彼は、顔の左半面を太陽の光に曝しました。その無惨な火傷の跡を、白日のなかに恥じるどころか、寧ろ陽光に焼き焦がそうとしてるかのようでした。
 そういう彼の火傷の跡を、何の憚りもなく好奇心もなく、謂わば無関心にぶしつけに、じっと見つめてくる眼が一つありました。田中正子の眼でした。

 田中正子は、笠井直吉と同じ隣組の中にいました。父は公証人役場に書記をしていて、家事や世事にはひどく冷淡な偏屈人だとのことでした。母はいつも病身でぶらぶらしているとのことでした。終戦の年の末、兄が復員によって朝鮮から帰って来て、或る小さな印刷所の庶務に勤めているとのことでした。それらはみな真実だったでしょう。だが、笠井直吉にはそれはどうでもよいことでしたし、彼等の姿を見かけることもめったにありませんでした。ただ正子にだけ、彼は自然と親しくなってゆきました。配給物のことをはじめ隣組内のいろいろな用事の際、用達しや入浴の途上での出逢いなど、彼女に接することが多かったのです。
 正子はもう三十歳ほどになっていました。へんに肌が白い感じの女で、眼と口とが、実際は普通なのに、少しく大きすぎると思われるのでした。なにか特殊な表情によるのだったでしょうか。然し彼女の表情は豊かではありませんでした。じっと無表情に自分を抑制してるかと思われるふしさえありました。
 初めのうち、彼の方に、彼の顔に、殊に彼の火傷の跡に、ぶしつけに注がれる彼女の視線を、彼は不愉快に思ったものでした。然し馴れるにつれて、その視線に気を留めなくなりました。彼女の視線はただ、どこかへ向けておかなければならないからそこへ向けておく、とそういう性質のもののようで、何かを穿鑿して吸収しようとしてるのとは違っていました。後になると、彼は、自分の大きな赤目やちぢれた耳や耳の後ろの禿げなどを、彼女からじっと見られても、ただ日にあたり風に吹かれるぐらいにしか感じなくなりました。彼女の方でも、日がさし風が吹くような調子で、少しの遠慮もなく彼の火傷の跡に眼をやるのでした。
 彼女自身、五体が満足ではなく、少しく跛でした。右の膝関節の屈曲がなめらかでなく、そして右足がちょっと長すぎるか短かすぎるかして、歩調と腰つきに均整がとれませんでした。羽織でもふわりとまとっておれば、それはうっかり見過されるぐらいの程度のものでしたが、それでも、
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