の表徴ではないか。
 川原の両親にしても、言うことが少しく出鱈目すぎる。俺の消息が途絶えてから、母がすっかり気落ちしてしまっただの、妹が泣いてばかりいただの、いろいろのことを言うが、母も妹も実はしっかりしていたことを俺は本人たちから聞いた。俺の葬式を盛大に取り行なおうと内々評議されていたなどと言うが、そんなばかげた評議がある筈のものではない。どこかにまだ生きてるだろうと希望をかけるのが人情だ。而もこの人情に反したことが、俺の生還を喜ぶ気持の裏付けとして持ち出されるのである。すべて善意による嘘っぱちだ。寧ろ悪意による嘘っぱちはないものか。その方が今の俺には却って嬉しいのだろう。それからいつも、きまって持ち出される前線の話ばかりだ。
 今日の午後の宴席でも、同じことが繰り返された。それがきまりきった酒の肴とされる。もう沢山だ。俺は黙りこむことにきめた。何を言われても、何を聞かれても、ただ無言で押し通してやった。徹底的な唖者になって、俺はただ、自分のうちに見えてきた深い空虚を凝視していた。人間的な何かが崩壊したあとの空虚、おぼろげに理解され痛切に感ぜられるこの空虚は、如何にして填充したらよかろうか。
 俺は憤怒に似た熱情で、無言の態度を守り通した。誰が何と思おうと構うことはなかった。川原の人達を渡舟場までしか見送らないことにしたのも、無言の一つの表現であった。誰も皆、俺を変だと思ったに違いない。母までが、俺の方をひそかに窺ってるようだった。妹は俺の視線を避けながら、俺の方にじっと眼をつけてるようだった。それら愛情のこもった眼ももう沢山だ。俺は一度でいいからすっかり一人きりになりたい。この河岸をこうして逍遙していても、なお誰かが俺の方をひそかに眺めていやしないか。

 夕食は早めに初められました。というよりも、男たちは早めに酒を飲み初めました。岩田元彦に中村佳吉、川原一家と懇意にしていた村の者二人、渡し守の重兵衛爺さん、それだけの人数で、八重子が煮物の皿を運び、加代子が酌をしてまわりました。女主人の芳江は、長火鉢のそばに肥った体を据えて、お燗番をしながら、人々の話を笑顔で聞いていました。
 話はいろいろな事柄に亘り、政治問題にも触れ、農作物のことにも及び、食糧事情なども取り上げられましたが、立ち去った川原一家の人々の噂がやはり中心となりました。
 重兵衛爺さんは一度、婆さん
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