饒舌に、真面目なものと嫌悪さるるものとを感じて、岸本はそっと手をはらいのけた。すると「若禿」はぐったりとなって、卓子の上につっ伏してしまったのだった。
 岸本は立上って、スタンドの方へ歩みより、マダムをよんで、アブサンを一杯もらった。何かしら酔っ払いたい気持だった。コップの水にアブサンが牛乳のように混和してゆくのを、心地よく見つめて、その眼をずらしていくと、すぐ前に、マダムの笑顔があった。
「子供のこと、本当ですか。」と彼は囁いた。
 マダムはにっこりうなずいて、今まで知らなかったのですかと、囁き返すのだった。彼が知らないでいるのが不思議そうらしかった。依田さんの奥さんが引受けてくれてるのであって、このバーも奥さんの後援で、一々会計報告までもするんだそうだった。そこで一寸眼をしばたたいて、まるでだしぬけに、涙ぐんでしまったのだが、もうすぐに笑顔をしてるのだった。いつもより老けて、眼尻の皺が目立った。岸本はコップの白い酒をあおった。
 あーあ、とわざと大きな欠伸の声がすると、マダムはするりとそこをぬけて、声の方へやっていった。棕梠竹の葉影に彼女のすらりとした姿がつっ立って、それが何やら小さく首をふると、わーっと歓声があがって、サチ子はまたビールの瓶を持っていった。決して客席に腰を下さないのがマダムのたしなみで、つっ立ったまま、土地の商家の人たちにインテリ風な冗談をあびせてるところは、バーのマダムという言葉にしっくりはまってるのであった。
 岸本は蓄音器のところへ行って、レコードを一枚一枚とりだしては、その譜名を丹念に読んでいった。あらゆるものがごっちゃにはいっていて、その錯雑さのなかで眠くなってしまった。
 揺り起されて彼が眼をさました時には、バーの中は静まり返って、客はもう誰もいなかった。サチ子が眠そうな眼で笑っていた。マダムはスタンドで、眉根をよせながら伝票を調べていた。岸本は大きな長い足を引きずって「若禿」を起しにいった。何かしら腹がたって、拳固で背中をどやしつけてやると、彼はぎくりとして、川獺のような顔付をもたげた。その眼が、そして頬まで涙にぬれてるのだった。眼をさまして、またしくしく泣きだした。岸本はまた腹がたってひどくなぐりつけてやった。「若禿」は泣きやんで、唖者のように黙りこんでしまった。そして勘定を払って、ふらふらと出て行った。岸本もその後に続いた。マ
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