です。爺さんはあちらこちら見廻してみて、ようやく一本の葛《かずら》を見つけ出し、それにすがっており始めました。
 ちょうど崖の中ほどまでおりますと、どうしたはずみか、葛がぶつりと切れて、あっと言うまに、爺さんはまっさかさまに転げ落ちました。転げ落ちるとたんに、高い鼻が岩角にぶつかって、ぽきりと大きな音を立てて折れてしまいました。
 爺さんは谷底で夢中に飛び起きて、一番先に鼻へ手をあててみますと、さあ大変です、天狗からもらった大事な大事な鼻どころか、自分の元の低い鼻までも根っこからなくなって、顔がのっぺらぼうになってるではありませんか。あたりを見廻してみますと、今まで咲き乱れていた花は影も形もなくて、自分の足下に、何か赤いものが一つ転がっています。よく見るとそれはまっ赤な高い天狗鼻《てんぐばな》でした。
「まあこれさえあればいい!」
 そう思って爺《じい》さんは、急いで拾おうとしました。すると驚いたことには、その赤い鼻がふわりと宙に飛び上がって、舞い上がりながら次第《しだい》に大きくなって、やがては空いっぱいの大きさになりました。そして爺さんがあっ気にとられていると、その空いっぱいの大きな鼻の向こうから、「あははははは」と雷《かみなり》のような笑い声が聞こえました。
 それはたぶん、天狗が笑ったのだろうということです。



底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
   1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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