いつも濁っていた。水面まで泥深く油ぎって、どんよりと湛えていた。濁った水というよりも、一種の溶解液だった。あらゆるものが、混入しているのではなく溶けこんで、腐敗醗酵のも一歩先に出ていた。その重々しい表面はゆるぎもなく、昼間は太陽の光を吸いこみ、夜分は街燈の光をはね返していた。
 あちこちに、一二艘の荷足舟《にたりぶね》がもやっていた。けれども私は嘗て、その舟の動いてるのを見たこともなければ、舟の中に人影を認めたこともない。中程に何か積んで蓆を被せられて、流れのない汚水の上に舟縁《ふなべり》低く繋ぎ捨てられている。それでも時々位置は変っていた。
 赤煉瓦と亜鉛板《とたんいた》とで出来てる荒々しい幾棟かの工場が、掘割の上に大きな影を落していた。煙筒からは煙が出てるが、建物は静まり返っていた。機械の音も職工等の気配も、その内部で窒息してしまってるかのようで、永遠に休業して立朽れしてるのか、或い死の工場ででもあるようだった。
 その工場の囲壁に沿って、掘割の縁を、私は考え込みながら歩いていった。それから、橋を渡って彼女の家の方へ折れこむあたりまで来ると、ひとりでに足が早くなった。
 彼女に近づくに従って、新らしい生活が私の胸にぴったりきた。
 実際、そこの掘割と工場とは、私の過去七年間の生活と何かしら似通ってるものを持っていた。
 愈々図書館生活に別れを告げることになった時、私は坐り馴れた卓子に両肱をついて、深い感慨に沈んだのだった。二月初旬の淡い日脚が、窓から床まで斜に落ちていた。その明るい角※[#「土へん+壽」、第3水準1−15−67]を除いて、室の中には淋しい影が立罩めていた。影の中で、数人の同僚が、自働人形のように黙々と働き続けていた。用があって口を利く時にも、皆声を低めた。時がたてば書物が埃に埋もれるように、彼等の声も沈黙のうちに埋もれる。私は自分の声がだんだん低くなるのに気付いて、びっくりしたことがあった。扉の向うには、更に薄暗い室に、書物が一杯並んでいた。その表紙と目次とを調べて、カードを整理するのである。私の洋服の織目には、書物の埃がたまり、機械的に働かせる頭には、白い雲脂《ふけ》がたまっている。毎日午前九時から午後四時まで、月給百円……。そして家には、母と妻と娘、それから夕食後、生活のための飜訳の仕事……。せめて、多少の心酔か興味かを以て、その飜訳が出来た
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