が、向こうは大勢です。かわるがわる追っかけて来るのですから、彼はへとへとに疲れました。息が切れて走れなくなりました。頭や背中には石を投げつけられて怪我《けが》をしました。この上|捕《つか》まったら、どんな目にあわされるかわかりません。彼は下駄をぬぎ捨て、着物をもぬぎ捨てました、そしてまっ裸で逃げました。身体《からだ》だけは誰にも見えないものですから、ようよう橋の下まで戻って来ることが出来ました。
 彼はもうどうすることも出来ないで、裸の上からむしろをかぶって、がたがた震えていました。頭や背中の傷からは血が流れ出し、それがずきずき痛んで、身動きをすることさえ出来なくなりました。
 今度は五右衛門も、まったく閉口《へいこう》してしまいました。夜になると、痛みと寒さとで今にも死ぬような思いをしながら、橋の上まではい出してきまして、ポンポンポンと手を三度|拍《たた》きました。
 白髯《しろひげ》のお爺《じい》さんがひょっこり出て来てにこにこ笑っています。五右衛門は泣かんばかりに願いました。
「もう術はいりませんから、どうぞ着物を一枚と食物を少し下さいませ。お願いでございます」
 すると、アハハハとびっくりするほど大きな笑い声がしまして、「大馬鹿者の五右衛門!」と叫んだ者があります。五右衛門は地面にすりつけていた顔を上げて眺《なが》めますと、もうお爺さんの姿は影も形もありません。そして、木の葉を綴《つづ》った着物が脱ぎ捨ててあって、その上に握《にぎ》り飯が一つちょんと乗っかっていました。
 五右衛門はあっけにとられて、しばらくぼんやりしていましたが、やがて正気《しょうき》に復《かえ》ってから、これはきっと神様が意見をして下さるのか、それとも狐《きつね》か狸《たぬき》に化《ば》かされたのか、どちらかだろうと思いました。どちらにしても、自分が泥坊《どろぼう》なんかをやるからこんなことになるのだと考えました。
 彼はその握り飯を食い、木の葉の着物をつけ、橋の欄干《らんかん》につかまって立ち上がりました。もうこれから泥坊なんかはよそうと決心しました。



底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
   1990(平成22)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング