合の花が一番好きだと云った。木下は仙人掌《さぼてん》の花が一番好きだと云った。仙人掌の花なんか可笑しくって馬鹿げてる、と信子は云った。百合の花は陳腐で月並だ、と木下は云った。然し百合の花には気品があっていい香りまである、と信子は云った。仙人掌の花はより崇高な気品とより多く余韻のある香りとを持っている、と木下は云った。第一仙人掌そのものが木だか草だか得体の知れない変なものだ、と信子は云った。仙人掌は球形であって、球形は最も円満なものの象徴だ、と木下は云った。それならば百合の根だって円っこい、と信子は云った。然し百合の根は多くの片鱗が集って円いのであって、全体が渾一した球形の仙人掌とは比較にならない、と木下は云った。でも刺《とげ》があるのは本当に円満でない証拠だ、と信子は云った。円満なものにも自身を保護する権利はある、悪を近づけないためには刺が必要だ、と木下は云った。然し刺は人を遠ざける、百合のように心から人を引き寄せる気高さの方が勝っている、と信子は云った。然し百合の花のように万人に媚びるものは真の気高さではない、と木下は云った。仙人掌の花は滑稽で、滑稽なものには気品のありようはない、と信子は云った。……啓介は横から口を出した。
「お前は仙人掌の花を見たことがあるのかい。」
「いいえ。」と信子は答えた。
「なあんだ! それじゃ議論になりはしない。仙人掌の花と百合の花とは凡ての感じがよく似てるじゃないか。」
「あらそうお。」
「似てるかな?」と木下は云った。
郊外の夜は静かだった。時々遠くで汽笛の音がするのが、猶更あたりの静寂さを増した。二人は炬燵を拵えてそれにはいっていた。距てない友情、清くて温い病室の空気、更《ふ》けてゆく静かな夜、それらが一つに融け合って、いつまでも木下を引止めた。思い切って腰を立てようとすると、「こんな晩は遠い旅にでも行ったような気がしますわね。」と信子が云った。啓介はうつらうつら眠っていた。その顔を見ていると、木下は自分自身が淋しくなった。啓介が眼を開くと、「よく眠れる?」と彼は尋ねた。「眠れそうだ、」という返事を聞いて立ち上ろうとすると、「も少し話してゆかない?」と啓介は云った。「私ちっとも眠かありませんわ。」と信子が微笑みながら云った。木下はまた腰を落付けて、フランスの印象派の画家達の話をした。「彼等の苦闘の生涯を想うと、力強くもなればま
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