ていった。彼が何やら囁くと、強く首肯《うなず》いて離れた。あたりを見廻しながら立去ってゆく彼を、暫く見送っていたが、池の縁の石の上に叩き割った椿の実を、大急ぎにかき集めて、中へはいって来た。
つめていた息をほっと吐き出すと共に、久七は戸の節穴から身を引いて、敷居の上へ飛び上りざま、其処の柱へつかまって屈んだ。眸を見開き口をうち開いていた。
つる[#「つる」に傍点]ははいって来て、彼の顔色をじっと窺ったが、たまらなそうに身を揺った。
「うううう……。」そして漸く声が出た。「お前何しただ? 涎が垂れてるだぞう。」
云われて初めて気付いたが、彼はそれを拭おうともせず、舌の先をつき出して唇をなめずった。そして彼女をじっと見つめた。
つる[#「つる」に傍点]は不気味そうに後退《あとしざ》ったが、くるりと向うを向いて、手荒く其処らを片付けた。釜の飯を飯櫃に移し、薬鑵や膳椀を揃えた。そうする彼女のむっちりした肉附を――円っこい腕や、ぷりぷりしてる肩や、ぽっつり脹らんでる胸や、張りきってる臀や、歩く度にはずんでる股などを、久七は熱っぽい眼で見入った。釘抜のように力強い抱きつき方をした先刻の姿が、頭にはっきり浮んできて、眼がくらくらとした。
「おつる[#「つる」に傍点]坊、お前|幾歳《いくつ》かなあ?」
思わず声が、それでもゆっくりと出た。
「十六だよ。」
とんがった答えだった。
「うむ……十六けえ……。」
見据えた眼を[#「 見据えた眼を」は底本では「見据えた眼を」]輝かして、四五歩にじり寄っていった。
「何するだ!」
彼女はぎくりとして飛び退った。
「お前、俺が嬶に[#「嬶に」は底本では「嚊に」]なんねえか。」
喫驚した円い眼をくるりとさして、次に彼女は笑い出した。
「ははは、お前でも嬶[#「嬶」は底本では「嚊」]貰うつもりかね。」
「俺愚図だが、これでなんだ、鰻や鼈ときたら、見つけたら最後逃したためしねえぞ。野田の旦那が日本一だちゅうてほめさっしたぞ。……俺お前が好きだあ。お前が来てくれるで、煩《わずら》ったのが有難えと思ってるだ。……椿の実いどっさり取ってくれるだぞ。」
「こんな青っぺえなあ駄目だあ、皮がはじけた黒えんでなきゃあ。」
「うむ、はじけたやつけえ、いくらでも取ってくれるぞ。俺もう何ともねえだ。」
よぼよぼしてたのを、力籠めてすっくと立ち上った。執拗な眼付をじっと見据えて、手先をわなわな震わしたが、顔の下半分がだらりと弛んで髯もじゃの※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]へたらりと涎が流れた。
つる[#「つる」に傍点]はぞっと立ち竦んだ。煤けたランプの光りが真赤だった。
「おつる[#「つる」に傍点]坊、俺平吉より強えぞ。」
額に皺を寄せて差出してる首を、きょとんと一つ打振ってみせた。
つる[#「つる」に傍点]は釘付にされたような足を一歩退る途端に、土間に転ってた椿の実を一つ踏えて、危く倒れそうになったのを、立ち直る拍子に思いついた。
「お前が強えたあ知ってるだが、頭が臭えから、これで洗ってみねえよ。」
先刻叩き割ってきた椿の実を、皮ごと土瓶に投り込んで、竈の上の自在鈎に掛け、上から水をじゃあと注ぎ込んだ。溢れた水が竈の焚き残しへ落ちて、ぱっと灰神楽が立った。
「煮立った後の湯で洗うだよ。」
気勢を挫かれてぼんやりつっ立ってる久七へ、彼女は尋ねかけた。
「お前ほんとに癒ったのかあ。」
「うむ。」と彼は首肯いた。
「じゃあおらもう来ねえよ、一人でやるがええ。」
口早に云い捨てながら、彼女は表へ駆け出してしまった。
久七は口と眼とをあっと開いて、その後姿を見送った。が暫くすると、にたにた笑いだしながら、竈に掛っている土瓶の方へ近寄っていった。
三
つる[#「つる」に傍点]は二三日姿を見せなかった。
久七はぼんやり家に閉じ籠っていたが、或る晩飯を済ましてからランプの火影に坐ってると、表から聞き馴れた声が響いた。
「久七、家に居るだかね。」一寸間が置かれてから「頭あ洗ったかね。」
それが、其晩のひっそりとした情景には余りに不意だったが、久七はびくともしなかった。幻のうちの彼女を見つめていた眼を、じろりと横目使いに、表戸の二三寸の隙間へ振向けた。黒い影がすっと掠めて、後はただ茫とした暗がりになった。
久七は暫く待った。蓬髪の頭をぶるっと振わせて、立ち上りざま呼んだ。
「おつる[#「つる」に傍点]坊!」
閉め切ってる破家《あばらや》のうちに響いた声が、すっと外へ筒抜けてしまって、後がしいんとなった。久七は駄々っ児のように身を揺《ゆす》っていたが、いきなり上り口の柱へしがみついていった。ねじまげた全身で柱へからみついて、べろべろ下唇をなめながら、力一杯に押し動かした。傾いてる軒端が
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