は電報で東京へ呼び戻された。――サカモトシススグカエレ、というのだ。坂元というのは僕の親友で且つ畏友だった。非常に頭の冴えた男で、その年大学の哲学科を卒業したのだったが、文芸なんかに対しても、専門の僕以上に深い見解を持っていた。平素病身ではあったが、肋膜炎をやったというだけで、どこといって特別の病気はなさそうだった。それが死んだというので、僕は少なからず驚かされた。後で分ったことだが、八月末から腸チブスにかかってぽっくり逝ってしまったのだった。
僕は坂元のことをいろいろ考えながら、すぐに帰京の仕度にかかった。電報は午後の四時頃ついたのだから、それから仕度をして出発すれば、夜の最終列車に乗れる筈だった。所が間の悪いもので、前日の豪雨のために山道が破損して、漸く通っていた俥までが不通だという。それじゃ歩いてやれという気になって、草鞋ばきで提灯の用意をして出かけた。荷物は後で宿屋から送って貰うことにした。
温泉から停車場までは五里の下り道で、六時少し過ぎに出かけたのだが、十時近くの列車までには向うへ着ける自信があった。溪流に沿った物凄い山道ではあったが、僕はこうして君に夜道の話をしてきかしてるくらいだから、そんなことには馴れていて平気だったし、それに月もやがて出る筈だった。
僕はすたすたと、前日の豪雨に洗われた山道を下っていった。途中で真暗になって一寸提灯をつけたが、やがて東の山の端に大きな月が出て来た。溪流の音が深い谷間に響き渡っている。暗い木影から出る毎に、薄靄の上に蒼白い月の光の流れてる谷間の景色が、眼の下にすぐ見渡される。そのあたりから冷々とした夜気が匐い上ってくる。九月末といえば山奥ではもう秋なんだ。秋の月夜の景色は実に凄いような美しさだった。
然し僕はその景色をゆっくり眺める隙はなかった。十時の列車に乗り後るれば、一晩後れることになるのだった。爪先下りの曲りくねった道を、出来るだけ足を早めて下りていった。所々に崖崩れがしていた。
そして凡そ半分くらい、温泉から二里半ばかり行った所に、一軒の掛茶屋があった。八時少し前の時刻だったが、山の中の八時と云えばもう真夜中も同然で、茶屋の婆さんは里へ下りたと見えてしんとしていて、閉め切った表戸に腰掛が一つ片寄せてあった。僕は一寸一休みするつもりで、その腰掛を拝借して煙草を吸った。掛茶屋があるくらいだから見晴らしの
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