えて高等小学にはいると、自分の家から一里の道をその町まで通わねばならなかった。その第一年目の秋のことだ。
学校で遠足があった。町から二里ばかり離れた山に……山と云っても七八百尺の山だが、それに登山をして、尾根伝いにも一つの山まで行って、それで帰ってくるのだったが、朝のうち深い霧で晴雨のほども分らなかったものだから、出発が二時間も遅れたし、山の上でぐずついてたりしたので、学校に帰って来た時はもう日が暮れていた。勿論初めから早く帰れるつもりではなかったらしい。帰りは遅くなるかも知れないから、近くの人はよろしいが、遠くの人は参加しなくともよい、しいて参加したいという者は、若し遅くなった場合には、町の親戚に泊ってゆくか、または学校に泊ってゆくか、それだけのことを両親と相談しておいでなさい、というようなことを前から云い渡されていた。随分乱暴な話ではあるが、昔の学校はそういう風なやり方だったのだ。それで僕は、村の同窓生達がみな休んだのに、一人頑張って出ていって、帰りが後れたら町の親戚に泊ってゆくつもりで、実際前の晩もその親戚に泊って、朝早く出かけたのだった。
所で、果して遠足の帰りには日が暮れてしまった。教師は生徒達を学校の運動場に整列さして、その疲れきった顔に一々提灯の火をさしつけながら、家の遠い者があると、学校に泊るかそれとも町のどこかに泊るかと、裁判官のような調子で尋ねていった。それが僕の番になった時、どこそこの何という親戚に泊ってゆくということを、僕は元気よく答えてやった。
それから解散になって、僕は真直に親戚の家へ行きかけたが、どういうものか、急に家へ帰りたくなって来た。前晩そこの家で余り好遇されたので多少極りが悪くなった、というような気持もあったらしいし、一人でよその家に泊ったために父母から遠く離れて心細くなった、というような気持もあったらしいし……其他、僕は今はっきりとは覚えていないが、兎に角無性に父母の所へ帰りたくなって、とうとう決心をし実行をしてしまったのだ。親戚へは無断のままで、町の出外れで提灯を一つ買って、一里の田圃道を一人で帰っていった。
親戚の人達は、いくら待っても僕が帰って来ないものだから、大変心配しだして、わざわざ学校へ聞きに行き、それからその晩のうちに、僕の家まで使の人を寄来した。そして僕は後で、父と学校の教師とからひどく叱られたものだ。
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