探しあてた。
 二階と奥とが住居になっているらしい相当な店だった。店の奥には、堆く紙類がつみ重ねてあった。右手と前面には、重に小学校用のらしい文房具が、一面に並べてあった。左手には、各種の煙草やパイプが、硝子箱の中にはいっていた。そしてその真中に、若々しい髪の結い方をした中年の女が、膝の上に小布をのせて、縫い物か何かをしていた。眉と眼との間が少しつまった、揉上の長い、肥った女だった。
 恒夫はその前を何度も往き来した。はいって行って茂夫さんは……と尋ねるつもりだったが、それを為しかねてるうちに、益々気分にこだわりが出来てきた。それかといって、いつまで待ってもきりはなさそうだった。どうしていいか分らなくて、通りしなに店の奥をじっと覗き込んだ。とたんに中の女が顔を挙げてちらと彼の方を見た。彼は慌てて逃げ出した。こちらを向いた彼女の眼が、形も何も分らないただ真黒な輝きとなって、頭の中にはっきり残った。その時彼は初めて、その女を茂夫の母親だろうと思った。
 それから二三日して、恒夫はも一度其処へやって行った。やはり揉上の長い彼女が店に坐って、往来の方を見い見い、薄汚い婆さんと話をしていた。婆さんは店先に腰掛けていて、いつまでも帰りそうになかった。恒夫はがっかりして立去った。
 何も極りが悪いんじゃあない、家の人に気付かれちゃあつまらないからだ、と恒夫は自ら自分に云いながら、何故ともなく口惜しくて仕方なかった。そして唇をかみしめて考えてるうちに、学校へ尋ねてゆけば訳はないと思いついた。
 その土曜日に、彼は一時間早く学校を脱け出し、途中で少しぶらぶらして、十二時間際の時間をはかって、豊山中学にはいっていった。二学年の小野田茂夫に逢いたいと云うと、小使室の横に待たせられた。
 教室の方から一時に大勢の生徒が出て来て、がやがや弁舌りながら、恒夫の方をじいっと眺めていった。恒夫はぐるりと向きを変えて、何気ない風にぶらつき初めた。そして、応接室もないのかな……と考えている時、ふいに後ろの方が大きな声がした。
「小野田さんを連れて来ましたよ。」
 ぎくりとして振向くと、痩せた一人の生徒が足早に歩いてきて、数歩先の所に立止って、眉根を少し寄せながらこちらを窺った。高い広い額の下に、小さな眼が上目がちに光っていた。
 恒夫は無意識に帽子をちょいと脱いでお辞儀をした。
「僕……川村恒夫です。」
 相手に何の反応もないので、彼は云い直した。
「僕は……君に逢いたいと思って……こないだから……。」
「何か僕に用ですか。」と相手は気後れのした声で云った。
 恒夫はふいに、何というわけもなくかっとなった。
「だって……だって君は、僕と兄弟じゃないですか。君も僕のお父さんの子で、僕もやはりお父さんの子なんだから。え、君はまだ何にも知らないの。君のお母さんが僕のうちに来てたことがあって、お父さんとの間に君が出来たんだって……。そして君のお母さんは小野田という家に嫁入ったから、君は小野田と云うんだけれど、本当のお父さんは僕と同じお父さんで、川村というんだよ。だから……。」
「あ、その川村さんですか。」
 突然大人の調子でそう云われたので、恒夫は喫驚して、茫然と相手の顔を眺めた。
「外を歩きながら話しましょう。」
 それは全く落付払った大人の調子だった。恒夫は急に気が挫けて、首を垂れながら、茂夫の後に従って学校の門を出た。茂夫は一言も口を利かず、振返って見もせず、何かをじっと考え込んだ様子で、自家とは反対の方へ、音羽の通りを江戸川の方へ歩いていった。
 茂夫が別に驚いた様子も見せず、また喜ばしい様子も見せないで、思慮深そうに落付いてるのが、恒夫には不思議に思われた。そして、どうしたんだろう……と考えてるうちに、ふっと物悲しい気持に閉されて、涙ぐんでしまった。兄にでも縋りつくような気で尋ねかけた。
「君は前から知ってたの。」
「え。」と茂夫は答えてから十歩ばかりした。「そしてあなたはいつ知ったんです。」
「十日ばかり前、お父さんの法事の時、お祖母さんから初めて聞いたんだよ。それまで僕はちっとも知らなかった。お祖母さんから聞いて、喫驚して、それから急に君に逢いたくなって、何度も君の家の方へ行ってみたんだけど、店に人が坐っていたから……。あれ、君のお母さんなの。」
 茂夫は何とも答えなかった。だいぶ暫くたってから、独語のような調子で云った。
「僕は前から知ってたけれど、あなたに逢ってはいけないと、お母さんから止められてたんです。」
「え、何故だろう。」
「大きくなれば分ることですって。」
 恒夫は妙に冷りとした感じを受けた。自分が今迄漠然と気兼ねしていたこと、祖父母や母やまた茂夫の家の人達に、気付かれないようにしたいと思っていたこと、それがぼんやり分りかけてくるようだった。
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