にも見えず、姿勢もくずれてはいないが、動く模様が更にない。私はそれを室の隅に上から笊を被せておいた。そして二三日たっても、蜘蛛はそのままで生き返らなかった。そのまるで生きた通りの蜘蛛の死体を、私は庭の隅に埋めた。
それから赤蜂の害が屡々起った。私は赤蜂の姿を見かけると、蝿叩きで叩き潰してやった。が赤蜂は次から次へとやって来た。三四匹一緒に飛んでることもあった。女郎蜘蛛の姿が巣に見えないなと思うと、それは大抵一筋の糸で巣から地面に落ちて、死体となってしまっていた。背と腹との間のくびれた急所に、蜂から喰いつかれたらしい傷跡が見えるのもあった。
そして、玉川から来た私の庭の女郎蜘蛛は皆、赤蜂のために害せられてしまった。残ってるのはただ、昼間隠れていて夕方から巣に出てくる泥坊蜘蛛ばかりである。
女郎蜘蛛のあの美しい色彩は、太陽の光の中で赤蜂の好目標となるのかも知れない。恐らく赤蜂は背後から狙い寄って、背と腹との間の急所に喰いつくのであろう。然し、その死体を別に食うのでもないらしいところを見ると、何故の襲撃か訳が分らない。それについては、何れ学者の示教を乞いたいと思っている。が兎に角、赤蜂が跋扈して女郎蜘蛛が滅びるということは、淋しいことである。
田舎に旅をして、静寂な自然と素朴な人事とに接する喜びの大半は、都会人としてそれらに接するところにあるということが、一面の真理であるとするならば、都会に住んで庭に蜘蛛の巣を張らして楽しむのは、野人としての楽しみであるというのも、一面の真理かも知れない。然しながら、蜘蛛を嫌う者は性格的に弱者であり、蜘蛛を好む者は性格的に強者であると、そういうことが云われないものだろうか。偏奇な趣味の対象としては、蜘蛛は余りに多くのものを持っていると、蜘蛛好きな私は勝手な考え方をしたいのである。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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