た。
 女――そんなら、なぜあたしは五回まで延したんでしょう。三回でうち切ってもよかった筈です。
 男――十回まで延せばよかったんだ。
 女――三回でうち切ってもよかった筈です。
 男――お前が早すぎたし、僕が遅すぎたんだ。然し、この石はいつまでも待っていてくれた。まだこれから後も待っていてくれることだろう。ねえ狸公、お前は待っていてくれるね。千回でも万回でも十を数えていてくれるね。
 女――それとも、ねえ狸さん、三回でうち切りますか。
 狸石――十を数えるなんて、そんなばかなこと、わしはしないね。
 驚くべきことには、狸石が呟くように口を利いて、頭を振った。男も黙り、女も黙り、そして淡い月も雲がかけて、ひっそりと暗くなった。とたんに、青白い鬼火がどろどろと燃えた。その明るみで見ると、男女二人の姿はいつしか消え失せ、狸石だけがとぼけた顔で空を仰いでいた。
 それから数日後、いつ誰がしたのか分らないが、大きな狸石をはじめ、その辺に転っていた石塊は、すっかり何処へか持ち運ばれてしまい、雑草は抜かれ、きれいに地均しされた。やがては人家が建てられることだろう。狸石ももう人目にふれず、忘れられてしまうことだろう。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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