話が変なので、よくきいてみると、別所と野田沢子との結婚には私を媒妁人に立てるんだと、李が一人できめているのであった。
「私は何もかもやめたんです。」と別所は云った。
「それはおかしいじゃないか。恋愛から結婚に行くのは、当然のコースだろう。」
「私は彼女がきらいです。なにも、処女でなければならないということはありません。然し、一度妊娠して流産したような女はいやです。また、やたらに妊娠するような女はいやです。」
 なんだか捨鉢な調子だった。それをいろいろ敷衍さしてみると、結局、野田沢子は嘗て或る男と同棲したことがあり、それは構わないが、妊娠して流産したこともあるらしいという、その「らしい」を確定的なこととすれば、他の男との関係で妊娠したような女には生理的に反撥を覚ゆるというのである。また、そうやたらに、この「やたらに」もおかしいが、やたらに妊娠するような女には精神的に反撥を覚ゆるというのである。――これはまあ私にも同感のいく事柄で、反対も出来かねたし、第一、私はまだ野田沢子に一度も逢ったことがなく、ただ、短歌雑誌や婦人雑誌の編輯をエキストラとして手伝ったりしてる女で、顔立は普通、痩せ型の中背、髪は短くカールし、派手な洋装をしたりじみな和服をきたりしているという、それだけのことを聞き知ってるに過ぎなかった。だがこの肖像は、「やたらに妊娠する女」とは見えなかったし、またそれを裏書きするような不平を別所は洩らし始めたのだった。
「互に逢っても、愛情のことだとか、心の持ちようとか、そんな方面の話は少しもしないで、支那問題だの、非常時の女の生活だの、世界の情勢だの、戦争論だの、そんなことばかり話す女を、先生はどう思われますか。」
「そりゃあ君、いくら恋愛の仲だって、始終愛情のことばかり話すわけにもゆくまいじゃないか。」
「そんなら、愛情のことは一言も云わないで、やたらに妊娠ばかりする女をどう思われますか。」
「また妊娠問題か。おかしいね。もうおなかに子供でも出来たのかい。」
「そんなことはありません。絶対にありません。けれど、もしそうなった場合は、困ります。」
「なあに、結婚しさえすれば、大いに国策に沿うわけじゃないか。」
「それは別箇の問題です。」
 その、別箇の問題から、話は沢子のことを離れて、急に飛躍してしまった。
「杞憂と事実の問題だよ。」と私は云った。
「そんなら、杞憂と事実とを何が区別してくれるんでしょう。」
「初めから区別は出来なくても、それは、現実そのものが処理してくれるよ。その現実の処理を先見することだね。」
「先見がそのまま杞憂になることだってありましょう。現実は気まぐれで、ちょっとした機縁でどっちへ進むか分りません。だから、現実を指導することが必要で、現実の処理に任せておけないんです。」
「それは循環論だよ。」
「そうです。すべてが循環論法で進んでゆきますから、そのどこかに終止符を、基点を据えなければなりません。私は指導のところに基点を置きます。それだけの誇りを持ちたいんです。だから、李の所謂公の立場というもの、公の立場の最も完全なものは機械だという説を、一応認めながら、賛成しかねるんです。あんな説を押しつめれば、人間から精神力を奪うことになります。」
「いや、それは誤解だろう。李はあの機械説というか公の立場説というか、あれに高い精神力を認めて、そこから物を言ってるんじゃないかね。」
「精神力じゃありません。単なる力です。そういう力は、人の熱情を窒息させます。いつかこんなことを云いました。火の如き熱情という言葉があるが、あれは嘘っぱちで、火は精神力ではあっても、熱情ではなく、熱情というのはくすぶってる薪にすぎないと云いました。然し、単にくすぶってる薪でもなんでもいい、熱情によってこそ人は救われると私は思います。ところが、熱情は次第に世の中から衰えて、所謂精神力だけが横行してきてるんじゃありませんでしょうか。この頃では更にその精神力まで衰えて、ただ体力ということが表面にのさばりだしてきました。」
「だが、その体力ということは綜合的なもので、君の云う熱情や精神力や、身体の力や、其他のものをも含めて云われるんじゃないかね。」
「本来はそうなんでしょう。けれど、身体の力だけがのさばって、熱情なんか消えかかっています。私は人中でふと、俺は違うんだぞと叫びたくなることがあります。今晩もあるおでん屋で酒を飲んでるうちに、そんな気持になって、俺は違うんだと心の中で叫んでいました。周囲の者がみな木偶坊に見えてきました。木偶坊といっても、鉄か石かコンクリーで出来てるやつです。頑丈だが、あらゆる意味で不感性のやつです。それらの中で、私一人酔っ払って、そこを飛び出して、ぼんやり歩いていますと、急に悲しくなりました。私には、世の中に、真の職場と
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