りでございますか、何にもおかまいも致しませんで……。あの……先生にお逢いの時には、どうぞよろしく申上げて下さいませ。私へまで、こんな御馳走をいただきまして……。」
そこには、何か料理らしい折詰のものが置いてあった。
「じゃあ、そこまで送ってきます。ちょっとお茶をのんでくるから、少しかかりますよ。」
茂樹は母親へそう云って、もう先に立って玄関へ出ていた。
良一は後につづいた。二三間行くと、茂樹は彼の耳に囁いた。
「川村さんのためには、僕は生命をなげだしてもいいんです。安心していて下さい。」
良一には何のことやら分らなかった。茂樹の足はばかに早かった。なかば小走りについていきながら、良一はもう考えるのをやめた。伯父のところへ行くと、川村さんは狂人だと言われるし、川村さんのところを訪ねると、本当に気が少し変らしい青年に逢うし、それから不思議な写真のこと……。そして川村さんは、一昨日まで九度五分の熱でねていたのに、いったいどこへ来ているのか。そしてどういう事が起りかかっているのか……。良一は大体の輪郭だけに迷いこんで、成行に従おうと心をきめた。夜もだいぶ更けたらしい、まばらな通行人の姿が肩をすくめていた。白く引いて流れる息をマントの襟につつんで、彼は茂樹に後れまいと足を早めた。
四
街角《まちかど》を二三度まがって、電車通りにつうずる横町の、構えは小さいが、小綺麗な料理屋の前で、茂樹は立止った。そして内部を窺いながら躊躇していたが、良一の方へ振向いて囁いた。
「ここです。川村さんをたずねてみて下さい。」
「ええ……だが、あなたの名前は……。」
「僕の名前ですって?」
茂樹はじっと良一の顔を見つめた。川村さんの家の前で逢った時と同じような鋭い不気味な光が、眼の中にあった。
「分ってるじゃありませんか。竹山茂樹です。」
良一は中にはいっていって、下足番に、川村さんのことを尋ねた。出て来た女中に、自分たちの名前を通じてもらった。上ってこいとの返事だった。
良一は竹山茂樹をうながして、座敷に通った。
川村さんは酔ってるようだった。二人の顔を見て、頓狂な眼付をした。
「ほう、これは珍らしい。君たちは知り合いなのかい。いつのまに懇意になったんだい。俺にないしょでくっついちゃいかんぞ。」
良一は少々当が外れた気持だった。竹山の言葉によって何か変事を予想さ
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