あるいちゃったんだ。何だか、知ってる人にみんな逢いたくなったのさ。勿論、女だけなんだが。もうこれから、酒をのむこともあるまい、すっかり真面目になってしまうんだ。今晩がさいごだ。だから、晴れやかにぱっと、知ってる女にみんな逢ってしまおうと――分ってるだろう、ただ顔を知ってるだけだよ、変な関係なんか一人だってありゃあしない――そのみんなに、ぱっと逢って、さよならって、ぱっと帰ってしまいたかったんだ。こういう気持、僕は嬉しかった。本当に君を愛してるからなんだ。ところが、君も僕を愛してる、本当に愛してるね、だから、君も多分、知ってる男にみんな逢ってみたい、ぱっとだよ、ぱっと逢ってみたい、そんな気になって、あっちこっちに電話でもかけて、そこまではよいが、なんしろ、相手は男だし、君の方は女だし、どんなことになるか分ったもんじゃないから……。」
「片野さん!」と彼女は叫んで、なおじっとその顔を見つめた。「今晩なにか、へんなことをしたんじゃない?」
「へんなことって……。」
「浮気かなにか。」
「そんなことをするくらいなら、君のことをこんなに心配しやしない。」
「あきれた。まるであたしだけが……どうすれば一体、安心が出来るの。そんな気持じゃあ、結婚でもしなければ、いつまでたってもだめよ。あんなに固く約束したじゃないの。」
「だけどさ、いつもこうなんだけれど……。」
 佐代子が銚子を持ってくると彼はたて続けに杯をあげた。
「君と別れて、もう夕方だろう、一人でぼんやり街路《まち》を歩いてると、またすぐ君に逢いたくなるんだ。それが嬉しいようで淋しいようで、変梃なのさ。街路を通ってる女が、どれもこれも、まるで無関係な他国人のように見える。そして、俺ももしかすると、彼女がいなかったら――君のことだよ――彼女がいなかったら、それらの女たちの誰かと結婚するようになるかも知れなかったんだ、ざまあ見ろ、いい気味だ、とそんな気持がして、それから、ふと、空を仰いだりするひょうしに、君のことが憎らしくなるんだ。今はお互いに愛してるけれど、いつ、ほかに、僕に恋人が出来るかも知れないし、君に恋人が出来るかも知れない。その時は、互いに、隠さずに打明けると約束したね。その約束を守ってもらいたいんだ。君に恋人が出来たなら出来たで、そりゃあ仕方がない。はっきりそう云ってくれればいいんだ。だまされるのは一番たまらない。
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