要であり、その上で肚を据えて支那民衆の中へはいってゆく人々が何よりも必要である。殊に文化部面に於てそうであることは云うまでもあるまい。
 この意味で、上海に於て大きな役割をしているところの、自然科学研究所の上野太忠氏や内山書店の内山完造氏や、また中華映画の川喜多長政氏や、其他茲にちょっと名前を遠慮したい要職の人々があるのは、意を強うするに足ることである。但しこれらの人々について何かを云うのは、今は差控えよう。
 たださし当っての問題として、私が見聞したところでは、各地に幾つかある日語学校の教材について、考慮の余地が充分あるように思われる。杭州の日語専門学校などには中等学校卒業生や専門学校卒業生など集まっており、日語の教授は熱心になされ、学生の進歩も速かなようであるけれど、その教材の不足は同情に価するものがある。
 茲に教材の不足という意味は、適正な教材のそれを指すのである。適正な教材とは、偏狭な日本的な何かを上から押しつけるようなものではなく、新東洋文化建設のためにも、一応は学生等の側に立って考究し検討されたもの、そういうものであるべきだと私は理解している。そしてそういう教材が実に不足しているのである。この不足を満すためには、多くの人の協力を必要とするだろう。
 更に、小学校に於ける日本語教科書の問題、日本語或は支那語の児童読物の問題など、未開拓の領域は限りなく広い。
 信教の方面に於ても、仏教によるいろいろの工作が行われてるようであるけれど、充分の見透しがついているのであろうか。支那のインテリ階級は、日本のそれと同様、殆んど宗教に関心を持っていない。また、今もなお百名や二百名の僧侶が修業してる大寺院があり、由緒ある名刹は至る処にあるが、これらは大抵、所有の不動産からの収入で支持され、一般大衆にとっても、仏教はもはや生きてる信教ではなくなっている。こういう実情に対して、仏教班首脳部の方針は、並びに派遣員の見解は、如何様に建てられているのであろうか。単に名刹の保存のみが目的ではあるまい。
 其他、一々挙げれば限りがない。そしてこの枚挙に遑ないほどの各部門に於て、今や、共存の理念を以て民衆の中へ能才のはいってゆくのが待望されてる時期なのである。
 眼を転ずれば、中支の風光は日本のそれに甚だ似ている。鎮江郊外の古の竹林の七賢の伝説のある竹林寺などを訪れる者は、松や櫟の立並
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