とは異ったものである。殊に、氏が懇意にしている人々のうちに、幾名かのインテリ女性らしいものを見受けるのは、注目すべきであり、恐らくはインテリ男性も相当にいるだろう。
 芝原氏が現在如何なる仕事に力を注いでるかは、茲に省くとして、現在のような地位を杭州市民間に獲得するには、つまり、体当りの骨法でいったことが、氏の言葉によって推察される。体当りの骨法でゆくというのは、茲では、身を以て民衆の中に飛びこんで共存的生活をなすことを意味する。
 新支那中央政府が成立した現段階に於ては、宣撫工作などというものも或る微妙な色合を持たなくてはなるまい。周仏海氏は、日本の宣撫工作について、それに助力させる中国人の人物選定の問題に関し、一種の不満を述べていたが、そういう問題はもはや中央政府に返上してよかろう。今は、中国人と共存的生活をなす肚のある日本人が要望される。
      *
 蘇州へ行った人は大抵、蘇州百貨公司の現状に注意を惹かれるだろう。
 これは元来、大丸百貨店の支店であり、名称もそうであったのだが、支那風に蘇州百貨公司と改められたのである。そこには、さまざまな地色の絹布に金糸銀糸で模様を浮べた刺繍織物や、透き模様入りの白麻のハンケチなど、蘇州名産は云うまでもなく、多くは日本産のあらゆる品物、凡そ百貨店に普通あるあらゆる品物が豊富に並んでいる。
 売子は、蘇州美人の称ある蘇州の町の選りぬきの少女たちである。彼女たちの美貌に心惹かれて余計な買物をする旅行者もあるとかいう。こういう町の少女たちを雇うのに、初めはなかなか困難だったそうだが、現在では募集すれば志願者が多すぎて困るほどあるらしい。
 ところで、問題は売子ではなくて、顧客である。日本人がここに来るのは当然であるが、支那人の客が非常に多い。午後になると、蘇州の町の上流中流の人々、殊にモダーン好みの女性たちが、数多集まってきて品物を物色する。やがてここが蘇州の流行の中心となるのも遠くはあるまい。
 日本人経営の店でかくも支那人を惹きつけてる所は、他に類が少いだろう。それには種々の原因があろう。この百貨公司が蘇州第一の店であり、品物も豊富なのが、その一つに数えられるだろうし、蘇州は殆んど今次の戦闘がなかった都会で、従って戦禍を蒙ることも殆んどなく、且つは古い文化の都会で抗日意識の比較的稀薄だったことも、その一つに数えられるだろ
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