った。
「兄さん!」と彼女は泣きながら云った、「兄さんは、生きていて下さい。私がお願いですから。」
「ええ生きます。」敬助は声を震わした。
「私は覚えていますの、」と秋子はまた云った、「姉さんが云ったことを。私は死ぬかも知れない、けれど高木さんは助けなければって。」
 敬助は思わず身を引いた。壜の中に僅かしか残っていなかった劇薬のことが、初めて彼の脳裏に閃いた。
 秋子は息をつめて彼の様子を涙の眼で見上げた。
「どうかなすって?」
 敬助はその声に我に返った。そして静に秋子の手を胸に抱きしめた。
 二人はそのまま石のように固くなっていた。と急に秋子は肩を震わした。
「昨日、姉さんの、姉さんのお葬式をすましたの。そして今日は……。」
 敬助は眼を閉じた。熱い涙が眼瞼に溢れてきて頼を流れた。もう何も云うことはなかった。彼は気が遠くなるような気がして床の上に横になった。秋子が彼の手を握りしめながら、片手で蒲団を掛けてくれた。



底本:「豊島与志雄著作集 第一巻(小説1[#「1」はローマ数字、1−13−21])」未来社
   1967(昭和42)年6月20日第1刷発行
初出:「新小説」
   1918(大正7)年12月
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2008年10月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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