と廻して眺めると、人数が一人足りないことが分った。「誰だったかしら?」と彼は考えた。すると眼がくらくらとした。
「気がついたか!」
 そういう声がした。見ると其処には中西が居た。婆さんも居た。も一人若い女が居た。見覚えのあるような顔だった。「あそうだ!」と彼は思った(然し実際は誰だか分らなかった)、そして身を起そうとした。
「お静かにして被居らなくては!」とその女がいった。そして皆で彼を元のように寝かしてくれた。その時彼は初めて、自分が蒲団の中に寝ていること、全身の関節に力が無くて骨がばらばらになってること、中西と婆さんと看護婦とが枕頭《まくらもと》についていること、それだけのことを感じた。
 何故《なぜ》だか分らなかった。然しそれが至極当然なことのような気がした。
「気がついてくれてよかった。どんなに心配したか分らなかったよ。」と中西がいった。
 看護婦が手を上げた。猫が顔を撫でる時にするような恰好だった。
「静にしてい給えよ。」と中西はいった。そして彼は乗り出していた上半身を急に引込めた。
 あたりがしいんとなった。何処かでひたひたと水の垂れるようなかすかな音がしたが、それはすぐに止んだ。「夜だな」と彼は思った。然し時間というものに対して妙な気が起った。時の歩みが全く止ったのか、または同じ瞬間が永続しているのか、どちらか分らなかった。二つは同じようなものであり乍ら、非常に異ったもののように思われた。そしてその二つの間の去就に迷っていると、「夜だな」という感じが遠慮なく侵入して来た。「夜!……夜!」そう頭の中で不思議そうにくり返していると、夢を見ているような心地になった。すると次には、夢を見たような心地に変った。そして自然に頭がその方へぐいぐい引ずられていった。腹の中が急にむかむかして来た。彼は口の中にたまった唾液を呑み下した。すると何かふくよかな匂いが鼻に感じられた。彼ははっと息をつめた。「慶子《けいこ》さん!」何処かに在る幻に彼はそう叫びかけた。そしてがばと身を起した。
 すぐに彼は看護婦と中西とから押えられて、また蒲団の中に寝かされた。いつのまにか幻が消えてしまった。身体の節々が重く痛み出した。そして頭の下には氷枕があてがってあることに気付いた。ずきんずきんと頭痛がして、眼に見る物の線がそれにつれてちらちらと震えた。彼は眼を閉じた。
 暫くすると頭の中が真暗
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