。天啓のように閃めくものがある。
――われ夢を失えり。
失えりと気付くことは、持ちたしと望むことである。
夢を持つには、平素の心掛けが第一であろうが、然し、時と場合によって、臨機応変の方策がないでもなかろう。
都市はふしぎなもので、如何に整然とした都市にあっても、流れや淀みを至る所に作る。淀みには陰性が住み、流れには陽性が住む。東京のような戦災都市では、その差がまた甚しい。少しく行けば、たちまちにして喧騒の巷である。
電車の響音、自動車の警笛、群集の靴音、それらを超えて空中に鳴り響く広告塔のラウド・スピーカー。これはまさに陽性的暴力だ。然しこれらの暴力の干渉外に、ネオン・サインの射照外に、ひっそりした隅々がある。ひっそりしてはいるが、然し、それは盲点ではない。そこに、酒の酔いと夢と哲理とがとぐろを巻く。
その一つの、杉小屋には大勢の常連が集まっている。経営者の好みで、焼けビルの一階の広間を、日本酒に縁のある杉の木材で改装し、杉で作ったがらくた道具を置き並べた酒場だ。
常連だけで殆んど満員である。ここには、バンドはもとより無い。ラジオも蓄音器もかけない。各自が勝手なことを声高に饒舌っている。ギリシャ哲学、近代政治、労働組合、アプレ・ゲールの理念、なんでも聞かれないものはない。ところが、ふしぎなことには、それらの高声な論議も、すーっと宙に吸われて、広間の空気はいやにひっそりしているのだ。コンクリーの四壁の音響反射のわるいせいか、天井の高いせいか、どのグループの人声も宙に消えて、ただ、饒舌ってる人のゼスチュアーだけがあとに残る。それはやはり、蛸坊主の秘密会合に似ている。
蛸坊主の会合だから、さすがに腕もあり足もある。だが、その腕や足のゼスチュアーも、ここではあまり役に立たない。給仕の女たちは、紺絣にモンペ姿の品行方正な少女だ。蛸坊主どもが如何にも色気たっぷりに、腕や足をさし伸べようと、その吸盤は、深遠な論理の声音が宙に消え失せると同様、宙に迷って何の手応えも得られない。
ひっそりした空気がかもし出され、酔いと夢とがはぐくまれるのだ。一隅のボックスで、中腰になって盛んに饒舌り立ててた青年が、どうしたことか[#「どうしたことか」は底本では「どうしたことが」]、相手の青年から、平手でぴしりと頬を殴られた。すると彼もまた、相手の頬に平手打ちをくわせ、卓上のコップ
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