の真相とまでは分らなくとも、なにか怪しいと感づいていたに違いない。女はこんな時、巧みな芝居をするものだ。貞夫にも老人にもなんとも言わず、黙っていて、最後にただ一言、わたくしそんな女ではございません。
それにしても、おかしいのは高木老人の話しっぷりだ。初めから、如何にも嬉々として楽しそうだった。最後の仕上げの件にしても、聊か色っぽすぎる。まるで惚気話みたいじゃないか。案外、百合子を好きになってるのであるまいか。老人の錯覚で、親切と愛情とを弁別出来なくなってるのではあるまいか。もし百合子が、彼の手を温かく握りしめて、連れていって頂戴、とでも言おうものなら……その後のことは神のみぞ知る。
高木老人は打ち明け話をしながら、時にはにこにこ、時にはにやりにやり、それから時おり眼に涙を浮べている。いったい、心の底のその奥は、嬉しいのか悲しいのか、不感症になりかけたのを自覚しない老いぼれ蛸。
俺もどうやら蛸壺に腰を落ち着けすぎたようだ。憂欝の気がかぶさってくる。立ち上って、電車がもう無くなりますよ、と言ってやると高木老人はあわてて立ち上り、勘定をすますが早いか、さっと出て行ってしまった。表の傾斜に滑り転んだかも知れない。
「おかしな年寄りですね。」
森田が微笑している。俺は指先で頭に渦巻きを描いてみせた。
俺だって頭が少し変梃だ。強烈な酒でもほしい。マダム・ペンギンのところか、京子のところか……それも今は億劫だし、遼子のところへはちと行きにくい。高木老人のおかげで、沖繩の海も見失ってしまった心地だ。森田が拵えてくれる怪しげなカクテルを飲むことにする。
体も意識も、ふらふらと、明滅する感じだ。
森田が戸外まで送って出て、空を仰ぐ。
「あしたも、天気らしいな。」
独語には、俺は返事をしないことにきめている。第一、天気模様なんかどうだっていいじゃないか。
手っ取り早く、輪タクだ。
体がはいるだけの空間の、その幌の中は、別天地だ。蛸坊主からも脅かされず、沖繩の海からも誘なわれず、俺はうとうとと居眠る。そして夢を見た。
両側に欄干のある、橋らしい大道だ。はっきりした橋ではないが、橋のようでもある。その両方の欄干に沿って、二人の女が歩いている。そぞろ歩きのように、ゆっくりゆっくり歩いてゆく。欄干のつきるところまで行って、左側の女がくるりと振り向き、右側の女もくるりと振り向
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