、煙草に限る。キャバレー・ルビーで貰った一本の葉巻を、チョッキのポケットから取り出して、ライターで火をつけようとするが、なかなかつかない。
「おじさん、なにしてるのよ。」
見返ると、これは侏儒だ。青いジャケツに黒いズボン、足には何をはいてることやら、柳の幹影から足音もなく出て来て、近々とそばに寄り立つ。俺のライターの光で、無害なものと見極めたのだろう。こいつも、蛸入道を怖がってるに違いない。なにしろ、薄暗い河岸ぷちのことだ。
虚勢を張って、蛸を釣ってるんだ、と答えたが、小僧は笑いもしない。
「こんなとこ、蛸なんかいるものか。鯉ならいるよ。おじさん、鯉を釣ってるのかい。」
これは気に入った。立ち上り、うまいことを言うほうびだと、百円札を一枚差出すと、小僧は俺の顔をじろじろ眺め、紙幣を引ったくり、ありがとう、声といっしょに消えてしまった。
これも、幻影であろうか。無償の行為だ。胸がすーっとした。毒気がぬけたのだ。
河岸ぷちを離れ、何処に行くという当はないが、も少し歩くことだ。
騒音の暴力はもうなく、ネオンの光りだけが明るい。そこを突っ切ろうとすると、高木老人にぱったり出逢った。
「やあ、これはこれは、珍らしいところで……。」
なにが珍らしいものか。珍らしいのは先様のことだ。更に珍らしいことには、高木老人は酔っていて上機嫌である。
「わたしは、今日はとても嬉しい。も少し飲みましょう。どこか、君の知ってるうちに連れて行きなさい。」
既にだいぶはいってるらしい。
「いや、わたしはダンスはやらない。キャバレーも好まない。どこかこう、静かなところがよろしい。」
そんならまあ、杉小屋か。老人の腕を執ると、二人の歩調も自然に合う。
「さっき、百合子に逢いましてね、いよいよ確かなところを見届けました。あれなら、もう大丈夫です。」
歩きながらいきなり言い出されたのでは、何のことやらさっぱり分らない。
「ずいぶん苦心しましたよ。時おり行っては、それとなく様子を見、チップにしては少し多額の金を、ひそかに渡すんですからね。百合子はびっくりした顔つきで、初めは断りましたが、事情があって……と言うと、素直に受け取るようになりました。もっとも、それがどんな事情だか、理解したわけではないらしい。ほんとに理解されても困る。まあそれはとにかく、あすこは人目が多いから、これには弱りました
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