は、涙を眼にいっぱいためて鼻をすすっていた。新らしい銚子を求めて、手酌でたて続けにのみながら、ふいに、そんなことはどうだっていいと云い出した。どうだっていいというのは、よくない証拠だ。彼は云った。自分は、郷里の家を飛び出したが、そこには、小学校に通ってる子供が二人ある。姉と弟で、珍らしいほど仲がよい。おやつのお菓子をやると、入念に等分して、打揃ってからでないと食べない。どちらかが先に外から帰ってくると、必ずも一人のことを尋ねる。一緒の時間に、待ち合して床につく。その二人が、私を待ってるに違いない。外を出歩きがちだったから、一日二日は平気だったろう。然し三日目頃から、私の帰りを待ち初める……。朝起きた時、学校から帰った時、就寝の時、お父さんは……と私の帰りを待ってるのだ。私が行方をくらまして、生死も知れずになっても、やはり待ち続けるだろう。小さな心は、大きな庇護の力たる父を、いつまでも待ち続けるだろう。――その待望を、そのままにしておいてやった方が、彼等にとって幸福か、或は、死体を以てその待望をぶち切ってやった方が、彼等にとって幸福か、どちらだ?……そう彼は怒鳴った。
      *
「待つ者」の話はそれだけである。
 さて、そのことがあってから、私はその中年の男と急に親しくなった。東京から五十里ほど離れた町からの彼の出奔の事情も、ほぼ分った。恋愛もあり、経済上の破綻もあり、種々の義理もあった。なぜ死ななかったのか、と尋ねると、彼は答えた、世の中には人の力でどうにもならない運命的なことがあるものだと。
 其後、私は彼の許しを得て、事情を少し変えて、それを小説に書こうと思った。ところが、そうした事実を小説にするためには、つまらないことや私に興味のないことを、如何に多く書かねばならないかを発見して、がっかりした。而も、それだけの努力を敢てしてみたところで、世の中には人の力でどうにも出来ない運命的なことがある、という核心は、到底掴めそうになかった。それは、「待つ者」の話が或る種の人々に暗示するかも知れないと思われる、メーテルリンク式の運命的なものとは、全然ちがったものである。彼の主観の最奥に横たわってる運命的なものは、抽象的に拵えあげられた運命などというなまやさしいものではない。恋愛や倒産や義理など、つまらない浮世の事情からにじみ出したものではあっても、ぎりぎりのところへまで押しつめられ、死の権利をも自ら放棄した者の、最後のただ一つの足場であった。
 その一つが書けなければ、この小説は凡て無駄である。本当に云いたいこと、本当に書きたいことが、如何に僅かであり、而も下らないことばかりを、如何に多く云ったり書いたりしなければならないことか。この小文でさえも既に、中核を逸した下らない文字の羅列に終っていはしないかを、私は恐れる。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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