先の円い指を吊していた。その指が少し上向き加減にうち開いて、守宮《やもり》の足の指のように見えた。それが、その全体が、ゆらゆら……ゆらゆら……何かを招いているようだった。
 寝呆けやがって……化けるな、化けるな。
 ビールの酔も手助って、私はそんなことを腹の中でくり返しながら、そっと足先を通りぬけた。
 然し、愈々寝る段になると、足のぶら下ってる下にもぐりこむのは、どうも我慢がならなかった。
 私は手を伸して、上の寝台の縁をこつこつ叩いた。
「危いですよ……落ちますよ……足が落ちかかっていますよ……足が……。」
 カーテンの中で、眼ざめた息の音《ね》がした。
「危いですよ。足が落ちかかっていますよ。」
「それは……どうも……有難う。」
 と同時に、足がすっと引込んでしまった。私はほっと安心して、寝台の中にもぐり込んだ。そしてカーテンを引いた。
 ところが何だか変に眠れなかった。その上、列車は間もなく沼津駅に停車して、夜更けの駅の淋しい物売りの声などに心惹かれて、眼は益々冴えて来た、私は仕方なしに、雑誌を取出して、カーテンを少し開いて、薄暗い中で読み初めた。がそれも気乗りしなかった。いつしか雑誌を投り出して、先刻の足のことなんかを考えていた。
 その男は、東京か横浜あたりから乗り込んで、十時に私が国府津で乗車した時には、もう寝入っていたに違いない。なぜなら、上の段にいる彼の存在が、少しも私の気にとまらなかったから。そして彼は、私が食堂にいってるうちに、熟睡の余り足を投げ出したのだろう。……それにしても、汽車の寝台から、それも下の段ならまだしも上の段から、足をぶら下げるなんて、随分思いきった不作法な寝相だ。そして……片足だけのところをみると、或は一本足か跛足か、そういった不具者かも知れない。……然し、ぶら下る足はみんな片足にきまってる。伝説の中だって……。夜遅く、ぶらりと馬の足が天からぶら下る。それが、四本の足でなくていつも一本きりだ。……だが、人の足がぶら下るのは、まだ聞いたことがない。二十世紀のハイカラなお化かな。汽車の中とは振ってる……。
 私はもううとうととしていたらしい。先刻の足がばかに大きなものとなって、妖怪味を具えていった。薄暗い電燈、カーテンの揺れ、車輪の響き、何かしら途方もない夜汽車内の幻想、そんなものが私を夢現《ゆめうつつ》の中に誘っていった。
 ど
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