って、顔にクリームを塗り、髪を整えた。女中が縁側の雨戸を開けるのを待って、手毬のところが欠けてる人形を持ち、庭に出た。幾つかある庭石の、一つを選んで、それに人形を力一杯ぶっつけてやった。人形は、小さく砕けた。私は塵取を持って来て、人形の破片を拾い集めた。それから、一昨日投げ捨てたままの、人形の毛毬を探したが、見付からなかった。どこにも見付からなかった。
母が、寝間着姿で、縁側に立っていた。
「そんなところで、何をしているんですか。」
「博多人形が一つ、壊れたから、小さく壊してやりましたの。」
母は妙な顔をして、私を見ていた。私は塵取を持っていって、拾い集めた破片を見せた。
「真白な土ね。」
「手毬のところだけ、どうしても見付からないの。」
「何の手毬……。」
「あら、人形のよ。」
「そう。でも、手毬なら、どこかへ転がっていったと思えばいいでしょう。」
「ほんとに転がっていったのかしら。」
「きっとそうですよ。」
「そんなら、探すの止めよう。」
私は縁側に腰掛けて、足をぶらぶらさした。
「お母さま、昨夜よく眠れましたか。」
「ええ、よく眠りましたよ。」
「犬がたいへん吠えましたでしょう。」
「そうね。」
「それから、雨戸にあちこち、ことりことりと音がしましたでしょう。」
「そうね。」
「どうしたんでしょう。」
「何かがいたんでしょうよ。」
「怖かったわ。」
「怖がることはありません。何かがいなくなったのかも知れないから。」
「いなくなったのなら、犬がどうして吠えますの。」
「探していたんでしょう。」
「探して吠えたのかしら。」
「きっとそうですよ。」
「でも、雨戸は、へんよ。」
「それだって、淋しかったんでしょう。」
「あら、お母さまいい加減のことばっかり。雨戸が淋しがるなんて……。」
母は私の顔を見て、頬笑んだ。
「美佐子さんだって、淋しがることがあるでしょう。」
「いいえ、ないわ。」
「ほんとに。」
「ええ。」
「今でも。」
「ええ。」
「そんなら安心ですよ。A叔母さまが仰言ったよ、美佐子さんが淋しがったら、一緒に少し遊んでやりなさいって。一緒に遊んでやりなさい、ねえ、おかしいでしょう。」
「あたし、淋しがりなんかしないわ。」
「だって、人形を壊したりして……。」
「壊れてたんですもの。」
「そんなら、捨てていらっしゃいよ。」
私は縁側から降りて、塵取を取り上げ、裏口の方へ行った。母と交わした対話が、謎のようだった。どうしてあんな対話になったのだろう。私もどうかしていたのかも知れないが、母もどうかしていたのかも知れなかった。
美しい朝日の光りに向って、私は深呼吸をした。
家の中に戻って、私は熱いお茶を飲み、それから仏間へ行った。雨戸を開けると、眼がさめるように明るくなった。仏壇はきれいに片附いていて、百合の花が匂っていた。私はその前に坐って、お燈明とお線香をあげた。祖母の遺骨が無くなってるのも、今では、却って清々しかった。私は掌を合せ、長い間頭を垂れていた。そして立ち上り、そこから出て行こうとして、ふと、母や父や兄と顔を合せるのが、ちょっと極り悪いような気がした。そんな思いは初めてだった。祖母が亡くなったからだったろうか。そればかりでなく、私がいくらかしっかりしてきたからだったろう。でも、そのことに自信はなかった。私はもう一度仏壇の前に引き返して、お線香をあげた。
底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1−13−25]・戯曲)」未来社
1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「小説公園」
1952(昭和27)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年2月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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