合せの会合は、お前の気持がよくなるまで延しといてもいい。」と彼は云った。
 それでも、折角思い立ったことを中途で止すのは、如何にも残念だった。四十になってこれから老衰期にはいるとか、いつ病気で頓死しないとも限らないとか、そんなことは妻に対する単なる言葉の調子で、実際の感じとは縁遠いものであったけれど、十三人の子供を一堂に会合させるということが、この上もなく痛快に思えるのだった。
 その痛快だという気持は、二十五六年前まで遡る。
 その頃、大学四年の間、津田洋造は一人の恋人を守り続けて、品行方正な学生として通した。然るに、卒業してすぐに結婚しようという希望が、眼の前に迫ってきた間際になって、その恋人……道子から裏切られてしまった。それも、道子の家庭の事情や道子の境遇などからして、止むを得ない成行ではあったろうけれど、彼は一図に失恋の悲痛に馳られて、自殺の決心をした。
 彼の家に、無銘ではあるが、長義の作だと伝えられる、白鞘の短刀があった。彼はそれを持出して、甞て道子と二人で甘い一日を過したことのある、江ノ島へ出かけた。勿論その時、どういう方法で何処で死ぬかを、はっきりきめていたわけではなく、ただ漠然と、万一の用意に短刀を携えて、失った恋の追跡を最後に訪れたのだった。そして、道子と共に昼食した旅館へ、ぼんやりはいり込んだ。
 わりに暖い初冬の日だったが、客は極めて少なかった。かすかに聞ゆる波の音と共に、夜はしみじみと更けていった。彼は八畳の座敷に一人ぽつねんとしていたが、ふと物に慴えたようにぎくりとしながら、短刀の鞘を払って、一点の曇りもない皎々たる刀の、刀先から鍔元までを、じっと電燈の光にかざして見た。心の底まで冷く冴え渡って、刀の方へじりじりと迫ってゆく。そして胸の何処か遠い奥の方で、宛も夢の中のように、道子、道子……と恋人の名が繰返される……。
 廊下に女中の足音がしたので、彼ははっと我に返って、短刀をしまった。それから何の気もなく外へ出てみた。短刀の刀を見てるのと同じ気持の、冷く冴え返った月夜だった。彼は賑かな神社と反対の方へ、橋の方へ歩いていった。
 うとうと居眠りをしてる橋番の前を、懐手のままふらりと通りぬけて、ひたひたとした波の音に聞き入りながら、首垂れて機械的に足を運んだ。
 橋の半ば近くまで来た時、彼はぞっとして立竦んだ。すぐ其処に、橋の北側の欄干に背をもたせ、橋の上にじかに坐って両足を投げ出し、月の光を正面から白々《しらじら》と受けて、二人の女がいた。一人は銀杏返《いちょうがえし》に結った年増で、旅館の女中らしい服装をし、一人は背も少し低く年も少し若く、小さな束髪に結って、白粉っ気のない浅黒い素顔で、膝に二歳ばかりの子供を抱いていた。
 彼は初めの驚きが静まると、思わず二三歩近寄っていったが、言葉が独りでに先に出た。
「何をしてるんだい。」
 銀杏返の女が、浴衣の上に褞袍《どてら》を重ねた彼の姿をちらと見上げて、落付いた調子で答えた。
「風流でしょう、橋の上からお月見で……。」
 彼は苦笑したが、一寸その側を離れ難い気持になって、橋の欄干に腰をもたせながら、煙草を吸い初めた。二人の女は、彼が側にいるのを一向気に留めぬらしく、先程からの話を続けていった。同郷の者とか以前同じ所で朋輩だったとか、そういった風な親しい間柄で、而もだいぶ久しぶりに出逢ったものらしく、束髪の女が銀杏返の女へ向って、縷々として身の上を訴えていた。男に逃げられて、子供と二人で困っている、その後の処置に就いて、相談をしてるようだった。然し彼は、彼女等の話に耳を澄すというよりは、夜更けの橋の上で彼女等とひょっくり出逢ったという情景に、場合が場合だけに心打たれて、しめやかな淋しい気持で、茫と月の光に浮出してる遠景を眺め入った。黒々とした腰越あたりの山の端から、遠く三浦半島の山々が灰色に浮出して、その右手に満々たる海が、月の光をさらさらと映してる先は急に黝んで、魔物のように横たわっている。その沖の方から、冷々とした風が吹いてきた。
 彼が二本目の煙草を吸っていると、銀杏返の女が不意に呼びかけた。
「旦那さん、済みませんが、煙草を一本御馳走して下さいな。忘れてきて困ってしまった。」
 彼は二歩近寄って、敷島の袋とマッチとを差出した。彼女は煙草を一本取って、マッチで火をつけてから、それを返しながら、初めてじっと彼の顔を眺めた。
「あら、御免下さい。私あなたを、家《うち》の昼間の……あのお客さんだとばかり思って……。」
 彼女が名指した旅館は、彼のとは違っていた。
「いいじゃないか、」と彼は云った、「どうせ同じ島の客だから。」
「ですけれど、あんまり失礼なことを……。」
 それでも彼女は、煙草をすぱすぱやりながら、彼の方へ話しかけてきた、彼がもう凡ての事情
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