みよ[#「みよ」に傍点]は何とも答えないで、きょとんと首を斜に動かしてみせた。
「おい、」と俺はお久の方へ向いて云った、「みんな旨そうに食ってるじゃないか。毎日旨く飯が食えりゃあ何もくよくよすることはねえよ。」
お久はじっと眼を伏せていた。何かに心動かされたとみえて、涙ぐんだらしい瞬《めばた》きさえしていた。それでも溜息をつくことを忘れなかった。そして云った。
「せめてね、よいお正月だけでも迎えられるといいんだが……。」
「何を云ってるんだい! よい正月だか悪い正月だか、なってみなけりゃ分らねえさ。」
「そんな呑気なことを云ってるからお前さんは駄目なんだよ。今日を一体幾日だと思ってるの?」
「今日は歳暮《くれ》の二十八日さ。」
「それごらんよ、明後日《あさって》一杯きりじゃないの。」
なるほどそう云えばそうだった。実は先達、質屋から厳重な通知が来ていた。お久の着物二三枚と子供達の晴着三四枚と――俺は枚数をよく覚えてはいないが――それを入質したまんま、もう六ヶ月も利子をためてた所が、来る三十日迄に利子を入れなければ、年末業務整理のため相流し可申候と、わざわざ筆で書き添えた督促状だった。お久に云わすれば、せめて子供達の着物だけでも受け出さなければ、よい正月は迎えられないそうだった。まあそれもいいとして、受け出すべき六十円余りの金の工面が問題だった。その他に俺としては、家賃や諸払や、半分でも入れとかなければ義理の悪い時借《ときがり》など、全部でかれこれ、百五十円ばかりは必要だった。職の方が漸くきまると、早速金の調達に奔走しだしたのだが、「こう押しつまっては……」と、何処も型のように断られた。俺の方では、押しつまったればこそ金がいるんだが、向うでは、押しつまったから金が出せないと云う。必要がさし迫れば迫るほど、益々途が塞ってくるわけだ。どうにも仕方がなかった。けれどまだ、ぎりぎりの瀬戸際までいったわけではない。
「じゃあ、その瀬戸際にいってどうするつもりだよ?」
それが、お久の最後の鉄槌だった。まさか俺だって、其処までいったのにいい加減なことも云えないし、打挫がれて黙り込むより外はなかった。けれど……けれど……やはりまだ瀬戸際まで押しつまったわけではない。
「まあ、明後日までのうちにはどうにかするよ。」
何だか俺は飯もまずくなってしまった。腹が少しばかり出来てきた
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