はどうなったか俺は覚えていないが、そのゴム毬のようにころころした餅肌の子供を神棚に投げ上げてる所が、眼覚めて後もはっきり頭に残っていた。何とも云えない忌々しいような嬉しいような、変梃な気持だった。
俺はぼんやり考え込みながら、神棚の方をじっと眺めやった。大根〆も御幣も黒く煤け、閉めきった扉の屋根とには、蜘蛛の巣が破れながら懸っていた。お久は手をつけるのが勿体ないとでも思ってか、母が死んで以来掃除をしたこともなかった。そしてその煤と埃との中に、榊の緑葉とその花立と真鍮の蝋燭立とが、なまなましい色に浮出していた。それを見てると、俺は変に落付かない気持になった。その上お久は、また金の工面のことで俺に訴え初めた。俺は一切のことから逃げ出すような気で、十時頃から外に出かけた。さも当があるような風で、爪を切ったり髯を剃ったりして、また一帳羅の銘仙をひっかけていった。
然し実は、当なんか全然なかった。少しでも融通してくれそうな所は、みな駈け廻ってしまった後だったし、いついつまで返事を待ってくれと云って、暫くでも俺の希望を繋がしてくれる[#「繋がしてくれる」は底本では「繁がしてくれる」]者さえ、一人として残っていなかった。俺はただ一つ処にじっとしていないために、犬も歩けば棒に当るというくらいな気持で、ぶらりぶらり歩いたのだった。もう松や笹を立て並べて、年末の売出や買物に賑ってる街路を、俺は野放しの犬のように、鼻をうそうそさせながら、足の向く方へと歩いていった。人の手前では、まだどうにかなるだろうという、痩我慢の気持になることも出来たが、往来の雑踏のまんなかに、寒い風に吹かれてる一人ぽっちの自分を見出すと、もうどうにも仕方がなかった。昨夜の雨は雪にならずに済んだが、そのため却って道路がぬかってるし、空は薄曇りに曇って、いつまた冷いものが落ちてこないとも分らなかった。せめて外套でもあればまだ気が利いてるけれど……。どうして俺はこう貧乏なんだろう? どうして仕事もないんだろう? どうして世の中に正月なんて区切がついてるんだろう?……つくづく俺は自分の身がなさけなくなった。力一杯に働いていて貧乏するのならまだいい。仕事がなくて食えないほど惨めなことはない。どうして俺はもっと早く仕事を見付けなかったんだろう?……だがまあいいさ、四十九日が過ぎるまで母の喪に籠ったのは、せめてもの仕合せだ。
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