という気持でむっくり起き上ってみると、驚いたことには、灯明をあかあかとともした神棚の前で、お久がくぐまり込んで、「天照る神ひるめの神……」を初めている。薄汚れのした紡績の着物にはげちょろのメリンスの帯、その肩から腰のあたりへ、ぼんやりした電燈の光を浴びて、縮こめた首筋へ乱れかかってる髪の毛が、気味悪くおののいている。おや!……と俺は思った。その姿形が亡くなった母によく似ていた。ただ、脂ぎってねっとりしてる黒い髪だけが、母のぱさぱさした赤毛と違っていたが、それが却って不気味だった。俺は我知らず立上った……途端に、彼女はじいっと振向いた。その顔が、母の死顔そっくりだ……と思う気持だけでぞっとしたが、何のことだ、やはりお久の顔だった。而も、俺が起き上るのを内々待ち受けていて、それをわざと空呆《そらとぼ》けてる、という顔付だった。その気持が余りまざまざとしてただけに、却って俺の方が落付を失った。
「何をしてるんだ!」と俺は怒鳴った。
 彼女はふふんと鼻であしらうような調子で、上唇を脹らませる薄ら笑いを浮べた。俺はつっ立ったまま、彼女をじっと見据えた。足で蹴りつけてやろうか……両腕で抱きしめてやろうか……がどちらもぴったり心にこないので、忌々しさの余りつかつかと歩み寄って、神棚の灯明を吹き消してやった。
「何をするんだよ、罰当り!」
 そう彼女は叫んで、俺の足へ武者振りついてきた。それを咄嗟に俺は避《よ》けて、火鉢の側に退却して腰を下した。
「いつまでもそんなことをしてねえで、早く寝っちまえよ。」
「お前さんこそ寝ておしまいよ。……私夜通しでも起きててやるから。……死んだお母さんの気持が、私にはようく分ってる。お前さんなんかに分るもんかね。ほんとに罰当りだ。だから年も越せないじゃないか。」
「越せるか越せないか、まだきまってやしねえよ。」
「きまってるともさ。子供は襤褸《ぼろ》のままだし、松も〆飾りも出来ないで、よく年が越せると云えたもんだね。餅一つ買えないじゃないか。お米を買う金だってもうありゃあしない。私達を飢《かつ》え死《じ》にさせるつもりなら、それでいいよ!」
「米の代も……。」
「あるもんかね。こないだ私が五円拵えてきたばかりで、一文もはいらないじゃないか。私だけならどうだっていいけれど、子供達と……お胎《なか》の子供とはそうはいかないよ。」
「でも、あれは本当に確
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