が欲望されるという歎声になる。
このハムレットを、上述の境に置いてみるがいい。彼は後方を振向いて眺め、また前方を凝視し、そして其処にいつまでも佇んでいるだろう。その表情はどうであろうか。後方を眺める時は、皮肉な微笑を浮べ、前方を凝視する時は、憂欝な微笑を浮べるだろう。そして皮肉な微笑と憂欝な微笑とのうちに、足は水腫に重くなり、体駆は栄養不良に痩せ細ってくるだろう。
だが、ハムレットのほかに、現代のドン・キホーテがいる。――「現代の」と云う所以は、漸くそういう型が出来かかって来たからである。彼は絶大なる信念を持っている。行動に対する信念を持っている。そしてこの信念は、思惟に対する反撥から来り、思惟の拒否を結果する。だからその信念は、行動の目的にはなくて、行動そのものに在る。何処へ行くかは問わない、ただ歩けばよいのだ。腹は水でだぶついていようと、ただ飲めばよいのだ。つまり、戦の目的を忘れた戦士なのである。これは、発足、出立、逃亡、遺棄、獲得、脱出、開拓、其他あらゆる言葉で呼ばれるところの、佇止は窒息であり、百の思考は一の行動に及ばないという思想とも、関連を持っている。斯くて、俺は一体どこに行きつつあるのかと、人に問わねばならなくなる。
このドン・キホーテを、上述の境地に置いてみるがいい。彼は碌に後方を眺めないだろう。其処に豊富な道具があることは初めから分っているのだ。ただ手を後方に差出して、手当り次第のものを掴んでくるだろう。そしてがむしゃらに前途を開拓しようとするだろう。一の道具が役に立たなければ、即時にそれを投げ捨てて、他の道具を掴んでくるだろう。道を開拓するには、先ず一本の鉄の鶴嘴がいる。然し彼にとっては、如何なるものも鉄の鶴嘴と見えるのである。彼の表情が、緊張からやがて焦繰に変らなければ、そして焦躁からやがて憔悴に変らなければ、仕合せである。
斯かるハムレット的なものとドン・キホーテ的なものとを去って、私は一の「童話」を考える。童話とは固より象徴である。この童話を考える機縁は、私事に亘るが、幾つもあるなかで、例えば、――
山本有三主宰「日本少国民文庫」のなかの、「発明物語」について、石本已四雄君が読後感を私に洩したことがある。曰く、有名な科学者達が如何に苦心して如何なるものを発明したかが書かれているけれど、ああいう科学的発見発明の当初には、全く童話的な
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