またいろんな沢山なものを、自分のうちに持っていたことでしょう。その翌日はもう、私と木村さんは、浅間山の方はふり向きもしないで、谷間の奥深くに逃げこんで、昼食もたべずに、人目を避けました……。草の上、河原の小石の上に、やたらに香水をふりまきました。睡眠中よりも、もっと深い強い夢でした。
その夢からさめると、私はもう何物にも、どんな一寸したことにも、対抗するだけの力がありませんでした。野口が帰ってきても、私はただ白痴のような微笑を浮べてるきりでした。木村さんは、凡てを告白しよう、そして出来ることなら、二人結婚しよう、とまで云いました。ひどく煩悶して窶れていました。とげとげしたところさえ出て来ました。そして一日おいて、後のことを約束して、東京へ帰ってしまいました。私はどんな約束でもしました。意志なんかは……約束を守る意志さえも……少しもありませんでした。そして木村さんが立去ると、私の白痴のような微笑は、とめどもない涙に代りました。泣いても泣いても、涙がつきませんでした。いろいろ問いつめられて、私は野口に一切のことを告白しました。少しも気の籠らない、それでいて涙にぬれた、ばかげた告白でした。けれど、おう、その時、私は野口の、極度の軽蔑の眼付に出逢いました。「僕はお前を自由に放っておくことが、お前の精神力を引立たせる仕方だと思っていた。精神力さえ盛んになればよいと考えて、じっと眼をつぶっていたのに……。」そう云いながらも、彼の眼には、崇高だとも云えるほどの軽蔑の色が溢れていました。私は心の底まで凍りつく気持がしました。もう駄目だ、私と野口との間は、どんなことをしても凡て駄目だ、ということをはっきり感じました。
――俺はお前たちを軽蔑する。お前たちのような人種は滅びてしまった方がよい。
野口の眼はそう云っていました。けれど、彼は淋しそうでした。或は彼の方が私よりも大きな夢を持ってたのかも知れません。然し、現実的に、何という力強い食慾を持ってることでしょう。私はただ、またも泣きたくなります。
底本:「豊島与志雄著作集 第三巻(小説3[#「3」はローマ数字、1−13−23])」未来社
1966(昭和41)年8月10日第1刷発行
初出:「中央公論」
1935(昭和10)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつく
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