ゃ一緒に行きましょうか。」
そして私達はこっそり家を出た。
何処へ行くつもりか、それは分らなかったが、老人は鳩の柄の杖をついて、ことりことりと飄逸な足取りで歩いてゆく。私もそれに歩調を合して、軽快に足を運んだ。
長い間、薄暗い裏町を通った。一人の人にも出逢わなかった。それからやがて、賑やかな大通りに出た。大商店の飾窓がずらりと並んで、明るい灯火が連って、街路は掃き清められていた。ただ、馬車も電車も自動車も通らず、人影一つなく、美しく光り輝いているきりだった。
「そろそろ、初めましょうか。」
「ああ、よかろう。」
そこで私達は、或る大きな呉服屋にはいっていった。やはり誰もいなかった。がらんとした明るい広間に、陳列棚が縦横に並んでいた。その棚に堆高く積んである布の中から、よさそうなのを選んで、私達は万引を初めた。
愉快だとも爽快だとも云いようのない、素晴らしい気持だった。自分の気に入ったものをちょいちょいとかっさらう。そのことが面白かったのか、または、そういうことの出来る自由さが面白かったのか、兎に角、ぞっとするような気持だった。勿論、見ている人は誰もいなかった。然し人がいようがいまいが、そんなことはどうでもよかった。自由に勝手に盗み取るのが、震え上るほどの嬉しさだった。
やがて私達は、万引した品物を風呂敷に包んで、その建物から出た。広い街路はやはりひっそりとしていたが、先刻より灯火の数が少くて、ずっと薄暗くなっていた。それが暫く行くうちに、益々薄暗くなってきて、真暗な橋のところに出た。
「捨てていこう。」と老人がふいに云った。
「ここにですか。」
「ああ。」
で私は、風呂敷包みをそこに捨てようとした。とたんに、惜しいな、と思った。
そこで夢が覚めた。
薄暗い電灯の光で、室の中がぼんやり意識された。耳を澄すと、夜明近くらしい外の気配だった。
おかしな気持だった。万引をしている時の素晴らしい感覚が、変に胸の中にこびりついていた。
そして私は、刑務所長から聞いた竊盗囚の話をはっきりと思い出した。彼は惜しいなと思って再び罪を犯すそうである。私は惜しいなと思って素晴らしい感覚の夢から覚めたが、それが実際惜しかった。
万引をするような人は、また、再三竊盗の罪を犯すような人は、吾々の知らない素敵な感覚を経験するに違いない。
そんなことを考えて私は、A老人に
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