するようになって、五六日お顔を見ないと、手紙をだしたり、また、逢えば逢えたで、引留めたくなったりするのでした。村尾さんはいつも受身の方で、酔っぱらった時のほかは、自分から泊ってゆこうと云い出すようなことは、ほとんどありませんでしたから、いつもあたしの方がだだをこねることになって、時には無理なこともあったでしょうが、迷惑そうな顔をしながらも、実は嬉しがっていらっしゃるのが、あたしにはよく分っていました。そしてあたしたちの間は、急に深くなっていきました。ところが、ふしぎなことに、あたしは誰かにつけねらわれてることを、村尾さんに話しにくかったんです。つけねらわれてるといっても、前のように云えば、毎晩のように聞えますが、実は五日に一度とか、七日に一度とかで、そう始終のことじゃありませんし、村尾さんと逢ってると、そんなことを気にするのが、ばからしくも思えるのでした。がそればかりでなく、もっと何か、話しにくいものがありました。お話してどう思われようと、あたしの方はかまいませんが、それが村尾さんの気持にどうひびくか、気遣われてなりませんでした。
それというのも、その頃、村尾さんの様子が少し変だったせいもあります。何だかこう冷たいよそよそしい態度をなすって、早く依田さんの世話になったらどうだとか、よい旦那を見つけたらどうだとか、僕がこれほど力を入れてやってるのにまだ売る気なのかなどと、それもただのやきもちとちがって、へんに冷く突き刺す[#「刺す」は底本では「剌す」]ように仰言るんです。あたしいい加減にあしらって、旦那なんか面倒くさくていやだの――それもあたしとしては本当のことだし、また、インチキな稼ぎ方なんかちっともしないと――それもあたしの気持からすれば本当のことだし、そんな風に答えますと、こんどは村尾さん、あたしの顔を見て、にこにこ笑っていらっしゃるんでしょう。それも、ひとをばかにしたような、そのくせ可愛いいといったような、そういう笑いかたなんです。そんなのが実はあたしの性に合うので、いい気になってると、ふいに、考えこんでおしまいなさる。かと思うと、これからどこかへ飲みにいこう、大いに愉快にやろうと、そうなんです。そして酔っぱらうと、いやにつっかかってきたり、また、何でもないのに、何も云わないのに、じっと眼を据えて、涙をこぼしていらっしゃる。わけをたずねると、いやに不機嫌で、怒っていらっしゃるようなんです。
落付かない、いらいらした、今にも破裂しそうなものが、あたしにも伝わってきて、じりじりと、あぶない瀬戸際におしつめられてるような気持でした。そんなこと、あたしには初めてなんです。ほかの人はどうかしらと思って、見廻してみると、一流のちゃんとしたねえさんで、旦那のほかに二三人の岡惚をもってるのがあったり、お酌あがりの娘さんで、ちょいちょい浮気をしてるのがあったり、自由な身でもないのに、一人のひとを守ってるのがあったり、さまざまでいて、そしてみんな、朗かに落付いてるようでした。こんなに困って苦しんでるのは、あたし一人なのかしら。そう思って、ふとしたきっかけから、静葉さんにたずねてみました。以前はそうとう莫連をした人で、今では、島村さんという旦那とも岡惚ともつかない一人のひとを守って、すっかり堅くなって、そのために苦労をしながらも、それがとても大っぴらで朗かで、ちょっと変ってるのでした。実はあたし、困っちゃったの……とそういう風にきりだしましたが、自分でもはっきりしないので、先がつかえて、みんな平気で浮気をしたりなんかしていて、あれでいいのかしらと、そんなことを云うと、静葉さん、それが当り前じゃないのと、一言で片附けてしまいました。そんなら、静葉ねえさんと島村さんとは……と云いだすと、静葉さんは急に、とてもこわい眼付をしました。
「何を云うのさ。あんたなんかに分ってたまるもんですか。」
ほんとに怒ってるんです。ひやかされたとでも思ったんでしょう。あたし云い訳をしようとしたけれど、とっつきがありませんでした。その何でもないこと、静葉さんから怒られたということが、どうしたわけか、ひどくあたしの気持をうち挫いてしまいました。あとであたしは一人で、涙がでてきて仕方がありませんでした。もと芳町のりっぱな芸者で、箱やさんといっしょになって、長年苦労したあげく、爺さん婆さんになって、二人で仲よく乞食をしてあるいてるのだという、その人たちに出逢って、あたし、五十銭銀貨をあげました。
そしてるところへ、或る朝、夜廻りの作さんが、あたしをそっと呼びだしました。昨晩おそく、この辺をうろついてた男がいた。前の通りや横町を、ゆっくりと往ったり来たりしていて、それが、あたしの家の前にさしかかると、立止るともなくちょっと足をゆるめて、家のなかの様子に注意をむけてる風
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