の組織の変質か、そういうものに依るのかも知れない。いや、それらのいずれでもなかろう。恐らくはそれらすべての総合だろう。だから私は医者に診て貰わないのである。明瞭な一定の疾患ではないのだ。むしろ、それは私にとっては休養なのだ。休養が病識らしいものに転化したのかも知れない。仕事が一段落ついてから取った休暇が、心身の緊張を一時に弛緩さしたのだとも言える。
 長い炎熱のあと、遂に雷雨が来た。大したものではなく、その後に豪雨を得て大地は初めて蘇ったのだが、その時は然しほっと息がつけた。雷鳴と電光を伴いながら、沛然と降ってからりと霽れるのではなく、じわじわと降った。四五十分後には細雨となった。縁側の先端の軒先に、高く伸びた夾竹桃の数本がある。その根本すれすれに、軒の屁から水滴が垂れた。そこに、大きながま蛙が出て来て、水滴を受けていた。前足を立て、後足で蹲まってる、その頭から背中に、しきりに水滴が垂れる。大きな腹部の背面に垂れると、ぼこりぼこりと音がする。蛙は時々、頭を動かし、向きを変える。だが水滴の落ちる場所を離れない。餌食の昆虫を待ち受けてるのであろうか。単に水滴を浴びてるのであろうか。
 のっそりしたその蛙の遅鈍さが、それを一心に見戍ってる[#「見戍ってる」は底本では「見戌ってる」]私を嘲るのだ。蛙には蛙の本能的な意図があろう。見つめてる私には、自ら自分を凝らして血行が悪くなり、一種の憔悴のみが残される。ばかばかしいことだ。蛙と同じように、待望の雨滴を楽しめばよかったのだ。蛙の如く遅鈍になれ。
 敷き放しの寝床に転がっていると、庭の木立の影から忍び寄ってくる凉気が、もう既に感ぜられる。だが、私自身はどうしてこう風通しが悪いのか。――押入の横の袋戸棚の上には、莫大な印刷物の堆積がある。研究所から自宅へまで氾濫してきた資料なのだ。第一次世界大戦後から、満州事変、日華事変、太平洋戦争、それから戦後に至るまでの、日本の社会情勢についての調査資料だ。社会情勢といっても、思潮や道徳や風俗を通じて観らるる人の心の在り方が中心問題である。そのいずこ如何なる部面にも、実に風通しが悪かった。そういう息苦しさが、調査の重荷を一先ず肩からおろした今でも、なお私につきまとってるのであろうか。
 結論として、政治の愚劣さ、制度の愚劣さに、いつとはなく突き当った私は、蛙の遅鈍さ、周囲への無関心さに、心惹
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