、閨の中で、私と彼女とは気が合わなかった。私はともすると、うふふと笑った。彼女はしばしば焦れた。焦れては、私の胸を叩き腕をつねった。それが、後には、しっくり気が合うようになった。私の方から、それをつとめて、妥協したのだ。いや、女の肉体が私の肉体を征服したのだ。――男女の関係とは、そのようなものだと私は思う。殊に夫婦の関係ではそうであろう。男の方から調子を合せてゆくのだ。そして自主性を失うのだ。
 ――清子だったら、そんなばかなことはないだろう。いや、このようなことを言うのさえ、彼女を汚すことになる。そのような彼女なのだ。
 私が打ち拉がれた気持ちに沈んでいると、久子は突然立ち上った。そして縁側へ、つかつかと出て行き、柱に片手をかけて、庭の方を見やった。――キキキというような甲高い笑い声がして、少年が彼方へ立ち去ってゆく。西岡とは別な家庭の保倉の息子だ。
 保倉の息子も、私の孤独圏を乱すものの一つだ。罹災して危く死にかかるところを、ふしぎに助かったのだとか。片方の頬から肩へかけて火傷の痕がある。――彼が狂人だかどうだか私は知らない。十五六歳の普通の体格だが、へんに首が短く猫背で、頭は後頭部が扁平で大きい。裾短かな単衣を着て、庭の中をいつもうろついている。鍵の手になった建物をおぶってる恰好の広い庭で、植込も多く、真中が竹垣で仕切られている。そこを彼は、猫背で鼻先をつきだしてる様子で、用もなくぶらついている。出逢っても、顔を挙げて正視することなく、ちらと一瞥するだけで眼を外らしてしまう。その一瞥が、相手の秘密までも見通してしまうような視線だ。
 彼はしばしば、私の室の縁側近くまでも忍び寄って来て、室の中をじろりと眺め、縁側に沿ってぶらついては、また室の中をじろりと眺める。私か婆やかが、そこへ、彼の眼の前に、ふいに出て行くと、彼はキキキと変な笑い声を立てて、彼方へ立ち去ってゆく。それでも彼は唖者ではない。甲高い声で早口で、家人たちに口を利いてることがある。家人以外の者には殆んど口を利かないだけのことだ。いくらか低能だとの噂だが、私にはむしろ狂人に近く見える。
 この保倉の息子は、いつも私の神経にさわり、私の孤独圏の安定を脅かすのだ。気にするほどのものではないと知りつつも、縁側近くをうろつかれると、何かを探偵されてるようで、不気味だ。夜分にその姿を見かけることはないが、然し時
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