そ、人を本当に生かす者であり、又一面に於ては、人をして死を恐れさせないものである。
本当に生きてる人だけが、本当に死を恐れない。人間の心の不可思議さよ!
最も活力の盛んな青々とした木の葉は、最も地上に散り落ち難い。最も活力多く生きてる人は、最も死に縁遠い。然しながら、最も死に縁遠いものこそ、最も死を恐れない。
死に臨んで死にたくない者は、本当に生きたいという意識を持たない者であり、もしくは誤った生き方をしていた者である。今迄自分の最善を尽してきたという自信のある者は、其処でぷつりと自分の生涯が断ち切れることを知っても、理想とか抱負とかいう目標まではまだいくらも近づいてはいなくても、凡てを落付いた気持で受け容れて、生きたという晴々しい心だけで満足して、狼狽もしなければ未練も起さない。
喚き叫んで死を否む者こそ惨めである。泰然と死に臨む者こそ讃むべき哉である。
穏かな気持で死に臨み得るのは、長い年月を此世で過して、もはや生きるだけの活力を失ってる、高齢の老人のみだと思うのは、大なる間違である。前途有為な壮年の人が、中途で死に見舞われるのは悲惨だと思うのも、大なる間違である。死に呑まれてゆく当人の心は、老年とか若年とかによって異るものではない。本当に生きてきた人の心は常に泰然として輝かしく、本当に生きてこなかった人の心は常に騒然として暗い。
人は何時如何なることによって、死に見舞われないとも限らない。その期に臨んで周章狼狽するのは憐れで惨めである。
本当によく生き得る人こそ本当によく死に得る。本当によく生きてる人こそ本当によく死の準備が――死に対する心の準備が出来ている。これを逆に云えば、本当に死の準備が出来てる人こそ本当によく生き得る。そしてこのことは、正も逆も両方とも真実であり、両方同時に真実であり、一を欠けば他は成立しない。
斯く云う時、吾々はただに生を征服した許りでなく、既に死をも征服したのである。生と死とを自分のものにしたのである。
実際、自分の生も自分の死も、共に自分のものではないか。それを自分の掌中に握り得ないのは、握り得ない人が悪いのである。罪は生や死にあるのではなくて、人にある。何物にも動じない力強い輝かしい心を以て、生をも死をも受け容れ得る人こそ、本当に何かを仕出来し得る。そういう所に生と死との意義があり、そういう所に生きることの喜びがある。
生きることの喜びを、吾々は自分のものとしたい。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月7日作成
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