た。彼女は堯の左に寝た。私は堯の右に寝た。芳子が枕頭で起きていた。然し私は眠れなかった。芳子と代ったが、芳子も眠れなかった。病室の中はむし暑かった。
 そしてそのまま夜が明けた。看護婦は堯の顔にガーゼの切れをかけて室を一通り掃除した。掃除を終ると窓の上の方を少し開いたままにした。其処から曇った朝の凉しい明るみが室に流れ込んだ。然し私達にとっては、その昼も直接に夜から続いた昼であった。凡てがただ明るくなり、電燈の光りが雲を透してくる太陽の明るみに代ったのみであった。堯は無意識の眼をぼんやり見開いていた。苦痛もなければ喜悦もなかった。時々唇を動かした。その度に食塩水をやった。口元を動かしてそれを飲み込むのが、見ている私にはたまらなく嬉しかった。
 凡てが澱んだままの重苦しいそして静かな一日が続いた。過去のことが直接に未来に向って蘇っていった。――堯は独楽《こま》が好きだった。私は家でよくそれを廻してやった。よくなったら病院の室にそれを持って来ようと私は思った。――外に出かける時はいつも堯は後を追った。誰か着物を着更えると必ず外出するものと思っているらしかった。そして鴨居の釘に懸っている自分の外出着のちゃんちゃん[#「ちゃんちゃん」に傍点]を指した。外に出る時はいつもそれを着るのだった。病室にもそのちゃんちゃん[#「ちゃんちゃん」に傍点]を懸けて置いてやろうと私は思った。――私の家の二階の窓からは墓地の一隅が見えていた。窓際に立たせて、「ののちゃん。」と云うと、堯は小さな両手を合した。後には、何とも云わなくても、墓所の石塔の方を見て両手を合した。病室の窓際も堯がつかまって立つのに丁度よい位の高さだった。窓からは墓地は見えなかった。その代りに、月のある晩は、月が見えるだろう、月の無い晩は、月の代りに向うの円い燈が明るく点るだろう、と私は思った。
 然しそういう過去と未来との間に、大きな空虚がぽかりと穴を開いていた。其処に堯は意識を失ってじっと横わっていた。私は眼を閉じてその枕頭に坐っていた。坐っているのがつらくなって、長く寝そべって、両手に頭を抱えた。
 朝、医員が見舞って来た。九時すぎにU氏の診察があった。
「嘔吐は?」とU氏は看護婦に聞いた。
「夜中から後は一回もありません。」
 U氏はじっと患者の顔を見ていた。私は何とももう尋ねなかった。
 十時頃から、二時間置きに人
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