夕方になりましたから、翌日|沼狩《ぬまか》りをすることにして、一同は罵《ののし》り立てながら引き上げました。
 それらのことを、平助は始終《しじゅう》胸をどきつかせて眺めていました。晩になると、困ったことになったと思案《しあん》にくれました。実はこうこうだと今更《いまさら》言い出したところで、村中の人の気が立ってる折りですから、それこそ、正覚坊ばかりではなく、平助までひどい目に逢わされるに違いありません。こうなった上は、夜のうちに正覚坊を逃がしてやるより外|仕方《しかた》ないのです。
 平助は死ぬような思いで、きっと決心をいたしました。酒をたくさん買っておいて、正覚坊が来るのを待っていました。正覚坊は平気な顔をして、いつもの通りやって来ました。
 二人は酒を飲み始めました。しかし平助は気がめいりこんでしまいました。終《つい》には涙をぼろぼろ流して、正覚坊の頭を撫《な》でながら、よく訳を言ってきかせました。
「そういう訳だから、もうお前とは別れなければならない。名残惜《なごりお》しいけれど仕方《しかた》がない。沖に出たら、暴風雨《あらし》やなんかに気をつけて、身体《からだ》を大事にするがよい。亀は万年も生きると言ってあるから、お前も長く生きて、時々は俺の事を思い出してくれよ」
 正覚坊《しょうかくぼう》も、平助の言葉がわかったかのようにうなだれてしまいました。涙をこぼすまいとつとめているように眼を瞬《しばたた》きました。
 そして、酒もなくなり、夜明けもまぢかになった頃、平助は正覚坊を連れて海に出ました。西の方の空に三日月が掛《か》かっていて、海の面《おもて》がぽーと明るくなっていました。
「それじゃこれで別れるから、達者《たっしゃ》に暮らせよ」
 そう言って平助は、正覚坊の頭を撫《な》でながら、沖の方へ放してやりました。正覚坊は何度もお辞儀《じぎ》をして、後ろをふり返りふり返り泳いで行きました。その姿が波の向こうに見えなくなってからも、平助はぼんやりそこに立っていました。
 やがて、早くも夜が明け放《はな》れて、村の人達は沼狩《ぬまが》りを始めました。しかしもう正覚坊がいなくなった後のことです。いくら狩り立てても取れません。一同は諦めて帰って行きました。
 それからというものは、平助はまるで気抜けのようになりました。そして、毎日沼のほとりに出ては、かの大石を正覚坊の姿に刻《きざ》み始めました。平助が正覚坊に憑《つ》かれたという噂《うわさ》がぱっと村中に広がりました。しかし平助は、実は真面目で一生懸命だったのです。
 正覚坊の像がいよいよでき上がった夕方、平助は村の網元《あみもと》の家へ行って、そこの御隠居《ごいんきょ》に、一部|始終《しじゅう》のことをうち明けました。御隠居はびっくりしました。なおその上びっくりしたことには、翌朝平助は死体となって沼に浮かんでいました。酒に酔ったあまり溺《おぼ》れ死んだのか、あるいは身を投げて死んだものか、誰にもわかりませんでした。けれども、その前の晩、正覚坊《しょうかくぼう》の像にもたれてしくしく泣いていた平助の姿を、月の光りで見たという者がありました。
 村の人達は、網元《あみもと》の御隠居《ごいんきょ》から平助の話をきかせられて、大変気の毒がりました。そして、平助の死体を沼の岸に埋めてやり、その上に正覚坊の石像をのせて祭りました。
 今では、その沼を正覚坊沼と言っていまして、平助が刻《きざ》んだという正覚坊の石像も残っています。沼の魚はみんなその石像に供《そな》えたものとして、誰も取らないことになっています。海で大漁がありますと、村の人達はそこに集まって大漁祝いをいたします。



底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
   1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング