寄ってゆきました。
それらの牡猫のなかに、クマの姿は見えないようでした。それでも仁木は諦めず、四つ目垣を乗り越してゆきました。すると、庭の隅の大きな水甕が眼につきました。全く誂え向きに水甕はそこにありました。仁木は手頃な石を拾ってきて、伏さってる水甕を少しく傾け、石を下にあてがって、猫を入れられるほどの口をあけておきました。
猫の群れはまだ庭のあちらで騒いでいました。仁木はそちらへ行き、こんどは四つ匐いになって近づきました。だが、いくら探してもクマはいませんでした。仁木は怒って、牝猫を捕えようとしました。そしても少しのところで、牝猫はするりと逃げのび、それから遠くへ行ってしまいました。その間中一度もクマの名を呼ばなかったことを、彼は思い出し、なぜか後悔しました。
彼は裏から家の中にはいりました。湯殿の戸は締りがしてなくて開きました。燃料不足のために風呂はもう長く沸かされず、ただ洗面所としてだけ使われていました。
彼はそこに服をぬぎすて、手を洗い、顔を洗い、足を洗い、そして水をやたらに飲みました。水を飲んで却って更に酔いが出てきました。
彼がそこに屈んで息をついていますと、寝間着姿の富子が、電灯の明りの中につっ立っていました。彼自身で電灯をつけたのか、或は富子がつけたのか、それは分りませんでしたが、とにかく電灯の明りの中に、裾を引きずった寝間着姿の富子が、幻影のように白痴のように立っていました。
彼女は何か言ったようでしたし、彼も何か言ったようでしたが、その声は彼の耳に達しませんでした。彼女は彼を援け起しました。すると彼は彼女を抱きしめてその唇を吸っていました。へんに冷たい濡れた唇でした。その感触に彼がすがりついていますと、突然、彼女の肉体はくりくり盛りあがってき、半球形を無数につみ重ねたような工合になり、彼はその重みに抵抗しきれずに倒れました。そして倒れながら彼女にしがみつき、また彼女に援け起され、彼女の重みを抱きしめました。
彼はもう力失せ、彼女が巨大な力になりました。彼女は彼をその居室に連れこみ、そしてどこかへ行ってしまいました。
宿酔気味の頭をかかえて仁木三十郎は起き上りました。富子の顔付や態度は、いつもと少しの変りもありませんでした。それが却って意外に思えたほど、仁木自身はなんだか落着きを失っていました。出戻りの大柄な中年女にとっては、前夜
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